素晴らしき旅・毎日が新発見 !!!

これまでマレーシア、インド、ラオス、カンボジア、中国に仕事で20年近く滞在しました。その間にタイ、ベトナム、インドネシア、モルディブ、シンガポールなども訪問しました。それらの国々で体験したり感動したりした素晴らしいことや珍しいことを皆様にご紹介させていただきます。

マレーシア・ドライブ紀行④第11日目~17日目(コタバル、プルフンティアン島)

第11日目 1994年4月4日(月) 晴れ


 本日の宿泊 コタバル Windmill Guest House, RM10(¥400) 走行距離188km

 只今の時刻、午前10時40分。カパス島の砂浜のビーチパラソルの下で書いている。午前10時発の予定だった船がまだ来ない。潮が満ちてこないからマランを出られないとのことだが、一体いつ来るのかわからない。

 11時45分、絵葉書を2枚書いた。沖を見てもまだ船は見えない。

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カパス島の浜辺
 昨夜は11時頃寝た。そして、今朝、何と書き表したらいいかわからない七色の鳥の声で目が覚めた。ガイドブックによると23の違ったメロディーで鳴く「ムライ・バトゥ」というカササギの一種が住んでいるそうだから、もしかするとそれかもしれない。

 結局、カパス島をたったのは、午後1時頃で予定より3時間遅れた。連絡の行き違いで、船は10時頃桟橋の方へ来たそうだ。だが、砂浜には来なかった。マランで食事をして、2時半に出発、夕方コタバルに着いた。

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マレーシア南端のジョホールバルからコタバルへ向かう国道3号線。コタバル近郊にて。
 

第12日目 1994年4月5日(火) 晴れ


 本日の宿泊 コタバル Windmill Guest House, RM10(¥400) 走行距離146km

 昨夜、屋台がたくさん出ている広場へ行って、夕食を食べた。クアラ・ルンプールと異なり、屋台はほとんどマレー人がやっている。牛肉のトムヤムを食べた。場所によって微妙に味が違うのも楽しみだ。
 
 今日はコタバルの近くを車で回った。
 
 Pengkalan Kubur:河口にあるタイとの国境の街。フェリーボートが行き交っている。検問所の中でも自由に写真を撮らせてくれた。特に、フェリー乗り場では、係官がタイとマレーシアのフェリーが行き交うところを写せとしきりに勧めた。時間を聞くと70分に1回だそうだ。そんなに待てないと言うと、あと数分で出るというので待つことにした。人々も親切で呑気な田舎町の国境だった。

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マレーシアとタイを結ぶフェリーが行き交う。


 Pantai Sri Tujuh:ガイドブックにはきれいな砂浜だと書いてあるが、何もないただの海岸だった。

 Tumpat:マレーシア東海岸、最北端の駅。

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 Wat Phothivihan:マレーシア最大の寝釈迦仏がある。全長41.2m、高さ10.7m。マレーシアは回教の国だが、北部のこの辺りには、タイが近いせいか仏教寺院が数多くある。仏教の寺を見ると何かほっとするものを感じる。マレーシアのモスク(イスラム寺院)を見ると、その建築様式の美しさに感嘆はするけれどもそれ以上のものが感じられない。しかし、仏教の寺を見ていると、心の底から揺り動かされるようなものを感じる。ふだんは宗教など無縁と思っているが、精神的にはやはり仏教が近いのかなと思う。寝釈迦仏はただ大きいだけという印象だが、この寺の隅に金色の小さい、いい仏像があった。

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画面中央に立っている私と比較すると、寝釈迦仏の大きさがわかる。

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 Rantau Panjang:内陸にあるタイとの国境の街。ここへ向かっている時、数ヶ所で検問をやっていた。主に国境から来た車を調べているようだったが、それだけ密輸などが多いのだろうかと思った。国境の事務所もPengkalan Kuburに比べると張り詰めた空気と慌しさが漂っていた。係官も厳しく、国境を見たいと言っても許可をくれなかった。f:id:duriantomato:20201130200555j:plain

道の奥に見えているのがタイトとの国境の検問所

 しかし、それは別にして、ここは「蝉時雨(せみしぐれ)」の町で、とても印象に残った。日曜日にカパス島で、マレーシアへ来て以来初めて蝉の声を聞いて嬉しかったが、ここでは、騒々しいほど鳴いている。木の枝の間を探したら、日本のミンミンゼミとアブラゼミを一緒にいたようなのが見つかった。鳴き声はうまく書き表せない。街の食堂でナシ・ダギン・メラーを食べた。そこで、タイのテレビ放送を見た。食堂の青年が煙草を一本くれたので吸った。見るとタイ製だった。国境の街を実感した。 

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食事をした食堂の前の道。この木々の中でたくさんのセミが鳴いていた。

 これから、コタバルの街のことを書く。

 昨日の夕方、着いてから泊る所を探した。そして、夜、屋台がたくさん出ている広場へ行った。ここは昼間は駐車場になっていて、夕方から屋台街になる。クアラ・ルンプールとは違った雰囲気がある。コタバルは昨日、一晩で気に入ってしまったが、町全体というより、この屋台の広場が気に入ってしまったのかもしれない。

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コタバルの市場
 今晩も同じ所へ行った。そして、昨夜とは違う店でミーバンドゥン食べた。ショッピングセンターの体重計で計ったら68kgだった。料金は20セン(¥8)。食べた直後でこれだから、普通は66kg位だろう。日本にいる時は72kg位だったと思うが、大分減量しているので、嬉しくなった。

 さっき、プルフンティアン島のビデオを見た。予定では、明朝コタバルをたって、途中2~3泊してクアラ・ルンプールへ帰ることになっているが、せっかくここまで来ているのだから、プルフンティアン島へ行ってみたい気もしている。クアラ・ルンプールから来るとなるとやはり遠い。明朝、起きてから決めよう。

 

第13日目 1994年4月6日(水) 晴れ


 本日の宿泊 プルフンティアン島 Moonlight, RM15(¥600) 走行距離68km

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プルフンティアン島の海

 「こんなにきれいな海、見たことがない!」これがプルフンティアン島の第一印象だ。ティオマン島もカパス島も日本の海に比べたらきれいだと思っていたが、ここに来たら、その二つとも色が褪せてしまった。透明な海がグリーンとブルーに輝いている。一人だけでこんな所へ来て罰が当たるのではないかと思ってしまった。砂浜も真っ白に光っている。

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プルフンティアン島の浜辺
 今朝起きて、プルフンティアン島へ行くことに決めた。次、いつ来られるかわからないからだ。Kuala Besutの港では場所を間違えたかと思った。プルフンティアン島への船が出るところと聞いていたので、大きな案内所があって、もっと混んでいると勝手に想像していた。小さい平屋がいくつかあるだけなので、驚いてしまった。昨夜、ビデオで見たPerhentian Kecilのムーンライトシャレーに決めた。1泊RM15(¥600)。

 海があまりにもきれいで波もないので、生まれて初めてシュノーケリングをすることにした。そして、今まで写真集でしか知らなかった「海の神秘」というものに出会うことができた。わずか1m位の深さの所に自分では思いもつかない色とデザインの魚たちが悠々と泳ぎまわっているのだ。

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この浅い海に色とりどりの熱帯の魚がいる。

 トイレの横で、体長2mあまりのイグアナに出会った。そして、ここはランプの生活だ。自然が残っているという気がする。ティオマン島で5泊もしたのが悔やまれる。シャレーのスタッフは「一日いれば十分」と笑って言っていた。本当にそうだろうか。

第14日目 1994年4月7日(木) 晴れ


 本日の宿泊 プルフンティアン島 Moonlight, RM15(¥600)

 昨晩9時に寝たので、6時前に目が覚めた。早速砂浜に出た。引き潮の海の上に三日月が出ていた。

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三角形の小さい小屋に泊まった。電気はなく、ランプでの生活だった。
 10時半頃から3時頃までシュノーケリング・ツアーに出かけた。客は自分とフランス人の青年の二人きりだった。4ヶ所でとまってシュノーケリングをした。全て背が届かないほど深い所だったので、泳ぎには自身がないので浮き輪を借りて、それにつかまりながらした。足が攣ってしまうのが、一番恐かったが、幸い大丈夫だった。シュノーケリングで新しい世界が広がり、楽しみが増えた。

 島の反対側のコーラル・ベイまで森の中を20分位歩いて行ったが、コーラル・ベイは西陽を受けて暑いだけだった。ロングビーチのムーンライトを選んだのは正解だった。帰りに大きいイグアナと山道で行き違った。ガサガサという足音が近づいて来るので、人間かと思っていたら、突然、駆け足になって藪の中を駆けぬけて行った。

 ムーンライトのレストランの前の椰子の木の幹に全長80cm位のイグアナがかじりついて「日光浴」をしていた。

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プルフンティアン島の夕暮れ

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(撮影日:2003年7月15日、プルフンティアン島の周りを回る船から見たほかの島々の様子)

第15日目 1994年4月8日(金) 晴れ


 本日の宿泊 プルフンティアン島 Moonlight, RM15(¥600)

 昨夜は12時過ぎに寝たので、今朝は9時過ぎに起床。午後2時の船が来たら帰ろうと思っていたが、時間を過ぎても来なかったので、3時過ぎからシュノーケリングをした。

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ゲストハウスの従業員も滞在客ものんびり海を眺めている。

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(撮影日:2003年7月15日)

 

第16日目 1994年4月9日(土) 晴れ


 本日の宿泊 コタバル Windmill Guest House, RM10(¥400) 走行距離77km

 5時半起床。浜辺に出たら、真っ暗だった。星がたくさん出ていたが、昨夜とは星座の位置が変わっていた。7時頃まで浜にいて、夜が朝に変わって行く様子を眺めた。6時57分に月が見えなくなり、6時59分に最後まで光っていた星が消えた。朝焼けは残念ながらそれほど美しくなかった。 

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従業員、滞在客と一緒に。

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遠ざかるプルフンティアン島

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(撮影日:2003年7月16日 Kuala Besut の港)

 8時発の船でプルフンティアン島を離れた。コタバルの町が気に入ってしまったので、今晩もう一泊することにした。コタバルへ向かう途中、Nilam Puri の町でマレーシア最古のモスクを見た。釘を一本も使っていない木造りのモスクだ。知らず知らず「法隆寺」と比較してしまった。そして、やはり、法隆寺は凄いと思った。

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 コタバルでは「クラフト博物館」や「カルチュラルセンター」を見学し、町をぶらぶらと歩いた。明日は父の命日なので、日本の家に電話をした。前と同じ屋台でトムヤム・ダギンを食べた。

 コタバルはいい町だ。

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 コタバルの印象

 

第17日目 1994年4月10日(日) 晴れ 

 本日の走行距離500km

 コタバル発、午前9時10分。自宅着、午後4時20分。約500kmをノンストップで7時間10分で帰ってきた。

 マレーシアの背骨であるタマン・ネガラの西を通る国道8号線を走り抜けて来た。雄大な景色の眺めながらのドライブを楽しむことができた。クアラ・ルンプール(KL)に近づくと渋滞が始まり、KLの町は熱気の中にあった。

 「16泊17日のマレーシアの旅」が終わった。
 思い切って出かけてよかった。
 全走行距離は少なめで1,836km。

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(撮影日:2003年2月、セントラル・マーケット周辺の様子。写真中央右側の頭が三角形になっているのが、1994年当時クアラルンプールで一番高かった May Bank のビルである。当時はKLの空ものんびりしていた。)