素晴らしき旅・毎日が新発見 !!!

これまでマレーシア、インド、ラオス、カンボジア、中国に仕事で20年近く滞在しました。その間にタイ、ベトナム、インドネシア、モルディブ、シンガポールなども訪問しました。それらの国々で体験したり感動したりした素晴らしいことや珍しいことを皆様にご紹介させていただきます。

旅の記憶(中国)⑩交通機関1

 

バイクタクシー(中国・大連)

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大連に来たばかりの頃、街のところどころにたむろしているバイクの集団を見て、この人たちは一体何をしているのだろうかと不思議に思った。中国のバイク好きが集まってバイクを見せびらかしているのかと勘違いをしてしまった。


暫らくして分かったことは彼らは「バイクタクシー」であるということだった。大連ではタクシーの初乗り料金は8元(約128円)で、バスの運賃は1元(約16円)か2元(約32円)である。知人に聞いたところ、バイクタクシーはちょっとした近所なら1元で行ってくれるので便利な乗り物だそうだ。


自分も20代から30代にかけてバイクに乗っていたので、その怖さはよく知っている。運転している者よりも後ろの席に乗っている者のほうが危険なのである。だから私はバイクタクシーを決して利用しようとは思わない。

 

彼ら自身は長袖のジャンパーを着て、ヘルメットを装備しているので、もし転倒しても命は何とか助かると思われるのだが、客用のヘルメットは持っていないのである。

 

大連の交通事情はすさまじい。交差点で赤信号でも、直角に交わっている道路に車が走っていなければ、どんどん突入してしまうのである。このような状況下で、ヘルメット無しでバイクの後部座席に乗るなど全くの気違い沙汰である。


十数年前にタイのバンコクで一度だけバイクタクシーに乗ったことがあるが、その運転の乱暴さに身が細る思いがした。彼らは時間短縮のため、ぎりぎりのところを走るので、私のひざが走っている車のバンパーに接触しそうになったことが何回もあった。降りたら身体中に汗をかいていた。こんな経験は2度としたくない。

(撮影日:2007年4月25日)

トロリーバス(中国・大連)

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大連で非常に懐かしいものに出会った。それがこのトロリーバスである。


小学生低学年だった昭和30年代中ごろ(1960年ごろ)、当時住んでいた北品川の家から歩いて15分ほどのところにある国電品川駅と池袋駅の間をトロリーバスが走っていた。

 

御殿山小学校への通学の行き帰りに渡る昭和通りでよくトロリーバスを見かけた。たしか、くすんだ青色系統の車体だったような気がする。残念ながらトロリーバスにはあまり乗らなかったので、料金がいくらだったのかははっきり分からない。

 

タクシーの初乗り料金が70円か80円だったことははっきり覚えている。丸い車体の小型タクシーのそれは60円だった。国電の最短区間の子供料金が5円だったような気がする。コッペパンが10円で、それにつけるピーナッツバターが5円だった。


大連のこの101番のトロリーバスは大連駅と大連市内の西のほうにある马栏広場を結んでいる。料金は1元(約15~16円)。道が混んでいなければ40分ぐらいの距離である。1輌のものが多いが、中にはこのように2輌連結のものもある。大連ではトロリーバスだけでなく、普通のバスの運転手も女性が多い。勿論男性の方が多いが、日本と比べると圧倒的に女性運転手が多い。バスに乗るたびに中国の女性の逞しさを感じさせられる。


昔、トロリーバスが走っていた道路を挟んで御殿山小学校の向かい側にSONYの本社があるが、当時はまだそんなに大きくはなかった。社屋建設予定の空き地で、放課後、毎日のように野球をやらせてもらった。そして、夏の夜、友達と一緒にその本社ビルの照明に集まるバッタを捕りによく行ったものだ。大連のトロリーバスを見ると、そんな懐かしい思い出もよみがえってくる。

(撮影日:2007年9月13&16日)

二百三高地路面電車(中国・大連)

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大連で路面電車を見たとき、子供の頃、東京を走っていた都電を思い出した。都電は今一部の路線しか走っていない。 


大連の路面電車には3つの路線がある。201は大連駅から長江路を通って沙河口駅まで。202は西安路にある興工街から開放広場、星海公園、海事大学を通って北河口まで。203は大連駅から民主広場、三八広場、魯迅路を通って東海公園まで。201は現在、路線の整備中で同じ路線をバスが運行している。

 

今までは深緑色の車体だったが、8月頃からこの臙脂色の車体が御目見得した。現在は2種類の色の車輌が走っている。202は銀色で2両連結の最新型車輌が走っている。


202にはまだ乗ったことがないので分からないが、201と203の運賃は1元(約15円)である。工事中の201は興工街で202と線路が接続された。したがって、沙河口駅方面には行かなくなるのだろう。


写真は203の民主広場駅と長江路の様子であるが、大連は路面電車が似合う街だとつくづく思う。


余談になるが路面電車の203という数字を見た途端に、「二百三高地だな!」と言った年配の方がいらっしゃったが、日露戦争(1904年~1905年)も100年以上前のこととなり、「二百三高地って、何ですか」と聞き返す人の方が多くなりつつあるのではないかと思う。


日露戦争で激戦地となった二百三高地がある旅順は大連から西へ車で一時間半ほど行ったところにある。大連市政府が路面電車の路線番号に意図的に203を残したのかどうかは確認していない。

(撮影日:2007年9月16日)

長い行列(中国・大連)

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大連駅から快速電車で25分ほど北へ行くと7番目の停車駅が開発区駅である。車だと道が混んでいないときでも30~40分かかる。バスも頻繁に運行しているが1時間ぐらいかかる。


開発区には日系企業の工場が多数あるので、ここで働いている中国人も大変多く、したがって開発区に住んでいる人々も多い。開発区にも賑やかな商業地区があるが、大連市内ほどではない。また、大連市内と開発区の間に住んでいる人も多い。そこで、休日ともなると大連市内にショッピングに来る人々が大勢いる。


この長い行列は日曜日の午後の大連駅前の「開発区行きバス乗り場」の様子である。バスは10分ぐらいの間隔で出ているが、大型バスではなく、中型で座席数が少ない。遠方まで帰る人は座って帰りたいというのが人間の心理だ。

 

したがって、1台のバスに乗る人数は限られる。だから、この列はなかなか短くならない。でも他のバス停では並ばない中国人もここでは辛抱強く並んで待っている。やろうと思えばできるじゃないか。

(撮影日:2007年9月16日)

古い型のトロリーバス(中国・大連)

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写真を整理していたら、古い型のトロリーバスが出てきた。約1年前に大連駅前で写したものだ。

 

手前に見える紺色の車体のものも左後方の白と青の車体のものも今ではほとんど見かけなくなった。

 

両方とも角ばった形をしていて、いかにも昔のものという感じがする。

(撮影日:2006年9月24日) 

線路(中国・大連)

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大連港の旅客ターミナル前の橋の上から大連駅方面に向かって写した一枚。

 

歩いている人もなく、動いているものは踏み切りを渡っているバスのみ。静寂のとき。気に入っている写真である。 

(撮影日:2006年10月3日)

日本の道路とどこか違う !!!(中国・大連)

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一週間にわたる国慶節の休みが終わり、道路は今日からまた賑やかになった。これは午後5時半過ぎの沙河口駅前の西安路の様子である。陸橋の下に停車している緑色のバスは201番の路面電車の代行運転で沙河口駅と大連駅の間を運行している。


上から見た様子を写真に撮ろうと思い、陸橋に上がった。もう1年半近くここに通っているが、この陸橋に上がったのは今日が初めてである。このだだっ広い道路をよく横断するが、ふだんは写真の人々のように下を歩いて渡っている。

 

写真の右側に見える陸橋に上がる階段は道路の真ん中にある。この階段の向こうに反対側の車線があるということだ。これからもこの道路の幅の広さが想像できるだろう。


さて、陸橋の上から見た道路であるが、日本なら必ずあるものがないのである。はて、何でしょうか?

 

それは車線を区切る白い線である。勿論、センターラインもない。これはここに限ったことではなく、大連の多くの道路がそうである。センターラインがあったとしてもあまり目立たない。


こんな道を結構スピードを出して運転している。人が横断しているのが目に入っても、決してスピードを緩めない。運転するのも道を渡るのも命がけである。

(撮影日:2007年10月8日)

白線が完成 !!!(中国・大連)

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「日本の道路とどこか違う!!!」で紹介した沙河口駅近くの西安路に車線を示す白線が昨日完成した。

 

朝、通勤するときに作業をしているのを見かけた。しかし、たった一日で白線は灰色になっている。いかに交通量が多いかがわかる。

 

にもかかわらず、この広い道路を悠々と横断する人はご覧のように後を絶たない。

(撮影日:2007年11月20日