素晴らしき旅・毎日が新発見 !!!

これまでマレーシア、インド、ラオス、カンボジア、中国に仕事で20年近く滞在しました。その間にタイ、ベトナム、インドネシア、モルディブ、シンガポールなども訪問しました。それらの国々で体験したり感動したりした素晴らしいことや珍しいことを皆様にご紹介させていただきます。

ラオス・シェンクワーン(ジャール平原)の旅①

 

ジャール平原を目指して

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3泊4日でシェンクワーンへ行ってきた。

シェンクワーン県はビエンチャン県とルアンプラバ―ン県に挟まれ、謎の石壺群がある。“ジャール(フランス語で「壺」の意)平原”が観光の目玉である。

 

バスだとビエンチャンから10~12時間かかる。

費用は95,000~115,000キープ(約1,000円~1,200円)。

私達は時間を節約するために往復飛行機を利用した。

所要時間は30分、料金は往復US$168(約13,000円)だった。

 

ビエンチャンのワッタイ国際空港発13:30、ポンサワンにあるシェンクワーン空港着14:00。74人乗りのQV401便はほぼ満席だった。

 

ワッタイ国際空港にはベトナムからの航空機が到着していた。

(撮影日:2011年9月16日)

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ビエンチャン近郊の航空写真 

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離陸して間もなく、はるか下に広がる景色を撮った。

まだ雨季であったので、広大な水たまり(?)ができていた。

 (撮影日:2011年9月16日)

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QV401便の機内食(?)

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飛行時間がわずか30分なので、水平飛行をしている時間はほとんどない。

機内で配られたのは350ccの水とドライフルーツの袋のみだった。

 (撮影日:2011年9月16日)

ポーンサワン近郊の景色

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シェンクワーン県の県庁所在地はポーンサワンで、シェンクワーン空港はここにある。

着陸態勢に入ってから写真を撮った。

山々に囲まれた緑豊かな土地だということが分かる。

(撮影日:2011年9月16日)

シェンクワーン空港の空

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滑走路の周りはそこいらじゅう丈が高い草が生えていた。

周りに高い建物がないので、ビエンチャンよりも空が広い。

 

ポーンサワンはビエンチャンよりもかなり標高が高い。

そのせいか雲もちょっと違うような気がする。

(撮影日:2011年9月16日)

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私たちが乗ったQV401便

シェンクワーン空港ビル(?) 

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田舎の街の空港とあって平屋だった。

壁にジャール平原の絵が描かれていた。

街へ行く手段を探すのに気を取られていて、建物正面とビル内の写真を撮るのを忘れた。

(撮影日:2011年9月16日)

WHITE ORCHID GUEST HOUSE

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「空港からポーンサワンの街の中心までトゥクトゥクで約10分、30,000キープ(約305円)」とガイドブックに書かれていたが、空港の前の広場にはそれほどトゥクトゥクはいなかった。勿論、タクシーはゼロだった。

 

空港の建物の中で、ゲストハウスの運転手たちが「うちに泊まれば、車代はただ」と言うので、一つ選んだ。

空港から15分ほどで着いたのがこの“WHITE ORCHID GUEST HOUSE”だった。

 

場所は街の中心を通るサイサナ通りの近くで便利な位置にある。

部屋の種類はいくつかあったが、一泊朝食付きで100,000キープ(約1,020円)のにした。

建物の外観はまあまあだが、部屋の中はそれほどきれいではなかった。

 

あまり客が入っていないようだったが、「今、みんな出かけているところだ」と宿の人が言っていた。しかし、夜になっても人の声はほとんど聞こえなかった。

写真は翌朝撮ったものである。

 (撮影日:2011年9月17日)

旅行社のツアーにご用心 !!!

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右の建物に旅行社が入っている 

 

翌日からの二日間の観光について宿の隣にある旅行社へ相談に行った。

たくさんの観光ルートがある観光地で、ハイシーズンの場合は、旅行社は非常に便利で格安なので大変ありがたい。

 

しかし、観光ルートが少なく、観光シーズンでない場合は、旅行社の悪い点が露出してしまう。この旅行社がまさにそうだった。

 

まず客の希望を聞くのではなく、彼らが用意している観光ルートを押しつけてきて、高額な料金を示された。

こちらが行きたいと思っている場所以外にたくさんの場所が入っていた。

その上、料金は一人当たり一日US$170(約13,600円)とバカ高かった。

ビエンチャン~シェンクワーン往復の航空券より高い。

ツアー参加者は私達二人だけとのことだが、高すぎる。

他の旅行社をあたってみることにした。

 

実は、空港から宿まで私達を運んでくれたのは、この旅行社の車だった。

空港から宿まで無料で客を運んで、ツアーで利益を上げるという算段だったらしいが、

今回は失敗に終わったようだ。

(撮影日:2011年9月17日)

AWANG RESTAURANT 

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空港には午後2時過ぎに着いたのだが、明日からの観光の手配のために他の旅行社やツーリストインフォーメーションを回っていたら、5時を過ぎてしまった。

 

そこで、夕食をとることにして、宿からほど近い中華料理の店に入った。

店のご主人は中国人だった。 

豆腐とトマトが入った料理とゴーヤと卵のスープ、それにご飯を食べた。

 

もう一品茄子の料理を注文したのだが、なかなか出てこなかった。

二品でお腹がいっぱいになってしまった。

茄子の料理が来ないので、どうしたのかと聞いたら、二人では食べきれないと思って作らなかったとのこと。

ここは素直に店の親切(?)に感謝した。

 

だから言うわけではないが、料理の味はよかった。

代金は全部で45,000キープ(約460円)だった。

(撮影日:2011年9月16日)

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ポーンサワンの露店市

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食事をしてから少し散歩をした。

宿の近くで露店市が開かれていた。

売られているのは主に野菜だった。

ビエンチャンでは見たことがない大きい筍(タケノコ)に驚いた。

 

相手が素朴な田舎の人たちなので、近くでカメラを向けるのを躊躇してしまい、ビエンチャンでのようには撮れなかった。

撮影時刻は午後5時50分過ぎ。

(撮影日:2011年9月16日)

Craters Restaurant 

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シェンクワーンでもう一つ忘れてはならないのは、1960年代半ばからのラオス内戦の激戦地だったということだ。

 

パテート・ラオ軍を叩くためにアメリカ軍が多数の爆弾を投下した。

その爆撃の跡がクレーターとしてジャール平原に数多く残っている。

いまだに除去しきれていない不発弾のために毎年、犠牲者が出ているという現実がある。

(撮影日:2011年9月16日)  

ポーンサワンの街並み

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まだ雨季で、観光シーズンでなかったせいか、観光客は少なかった。

シャッターが下りている店舗がかなりあり、そのせいか寂れているような印象だった。

一番下の写真を撮ったのは午後6時4分ごろ。

(撮影日:2011年9月16日)

華やかな紅い花

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ポーンサワンは寂れているような街だったが、紅くて華やかな花に出合った。

花弁のもとから先まで10cmぐらいある大きい花だった。

この花はビエンチャンではまだ見たことがなかった。

(撮影日:2011年9月16日)

田舎街のインド料理店

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思わぬところで、インド料理店に出くわした。

 

以前、中国の昆明でインド料理店を見つけた時も驚いたのだが、ポーンサワンは東南アジアの小さい国の田舎街なので、「こんなところにもあるのか !!!」ともっとびっくりした。

 

夕暮れだったので、暗い写真になってしまったのが残念だ。

(撮影日:2011年9月16日)

 “おかゆ” 

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食堂の看板に“ひらがな”で“おかゆ”と書いてあった。

日本人も客として期待されるぐらいはこの街に来ているという証拠だろう。

「か」と「ゆ」がちょっと歪んでいるところが微笑ましい。 

 

インド料理店があることにも驚いたのだが、この“おかゆ”のメニューにはもっと驚いた。  

(撮影日:2011年9月16日)

ポーンサワンの朝

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ポーンサワンの街の中心、サイサナ通りである。

朝7時過ぎなのに人通りも交通量も非常に少ない。

多分、観光シーズンではないからだろう。

(撮影日:2011年9月17日)

WHITE ORCHID GUEST HOUSE の朝食

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大変シンプルだが、パンは美味しかった。

コンデンスミルクは、ビエンチャンでは見たことがないブランドだった。

(撮影日:2011年9月17日)

“高原旅社”

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ポーンサワンに着いた日の夕方、観光ツアーを実施している旅行会社を探し回った。その時に偶然見つけたのがこの宿である。

 

場所はツーリスト・インフォーメーションのすぐ近くである。

約2時間前、空港から“WHITE ORCHID GUEST HOUSE”へ向かう時にこの前の道を通った。経営者は中国人夫婦で、もう長年ここに住んでいるとのこと。

 

ジャール平原へ行きたいと話をしたら、500,000キープ(約5,100円)で案内してくれるというので、お願いした。そして、2泊目、3泊目はここに泊まることにした。

 (撮影日:2011年9月19日)

“高原旅社”の部屋

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これが私たちが2泊した2階の部屋である。

設備はともかくとして、広さは十分だった。

1泊80,000キープ(約800円)のところを60,000キープ(約600円)にしてくれた。

(撮影日:2011年9月19日)

いざ“ジャール平原”へ 

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“ジャール”とはフランス語で「壺」を意味する。

石壺がある地域はシェンクワーン県内に60か所以上あり、その総数は1,000個以上になることが判明している。

 

石壺の中からは人骨、ガラスの小玉、石壺の外周からは、土器片、青銅の腕輪、鉄製のナイフなどが発見された。

 

現在のところ「石壺が石棺として使われた」という説が有力であるが、これだけの壺を作る資材と労力をどうやって調達したのかなど、“ジャール平原”にまつわるミステリーは尽きない。

 

“ジャール平原”は多くのサイトに分かれているが、主なものはサイト1,2,3で、私達はまずサイト1を目指した。

(撮影日:2011年9月19日)

“ジャール平原” サイト1の入り口

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ポーンサワンの街の中心から30分ほどでサイト1に到着した。

私達はバンで行ったが、道に凸凹はあるものの、サイト1まではトゥクトゥクでも行けるとトゥクトゥクの運転手が言っていた。

 

観光シーズンではないせいか、入口は閑古鳥が鳴いていた。

入場料金は10,000キープ(約100円)。

(撮影日:2011年9月17日)

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