ラオス・シェンクワーン(ジャール平原)の旅②
- Together let’s protect the Plain of Jars
- ジャール平原・サイト1
- 最大の石壺
- クレーター
- ジャール平原の中の遊歩道(?)
- 爆撃を逃れた洞窟
- 石壺の中
- 自然が創造した芸術
- 蓋がある石壺
- 石壺 N.270
- ジャール平原の高台からの景色
- “ジャール平原” サイト2&3へ
- サイト2&3へと続く田舎道
- サイト2とサイト3の分岐点
- サイト3は遠かった
- サイト2入口
- Unexplored Ordnance Clearance Programme(不発弾処理)
- サイト2の石壺
- ムアンクーンの麺
- ムアンクーンの街(村)?
Together let’s protect the Plain of Jars
“ジャール平原 サイト1”の入り口にあった注意喚起の看板である。
漫画がカラフルで面白い。
(撮影日:2011年9月17日)
ジャール平原・サイト1
生憎、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。
ジャール平原・サイト1の印象は何と言ったらいいか。
学術的なことはさておき、とにかく爽やかな伸び伸びとした気分にさせられた。
あたり一面、遮るものがなく遥か遠くに連なる山々、刻々と微妙に表情を変える白雲。。。。。
(撮影日:2011年9月17日)
最大の石壺
サイト1の入口の看板に「ここには334個の石壺があり、最大の物は 直径2.5m、高さ2.57m」と書いてあった。
どれが一番大きいのか分からなかったが、この写真の左側の壺もかなり大きかった。
高さが2mぐらいあった。
(撮影日:2011年9月17日)
クレーター
1960年代半ばからのラオス内戦の時、パテート・ラオ軍を叩くためにアメリカ軍が多数の爆弾を投下した。
立て札によると1964年から1973年までの期間がそうだったらしい。
その爆撃の跡がクレーターとしてジャール平原に数多く残っている。
人間の背丈と比べると、クレーターの大きさがよく分かる。
そして、爆弾の物凄い威力が想像できる。
クレーターの底面がほとんど草に覆われてしまっており、年月がたったことを感じさせる。しかし、ここで起こったことを風化させてはならない。
(撮影日:2011年9月17日)
ジャール平原の中の遊歩道(?)
草原の中の踏み固められた狭い場所が時間がたつにつれて小道のようになった。
泥がむき出しになっているので、非常に滑りやすい。
そこを歩いてジャール平原を巡る。
前方に石壺群が見えている。
足元の草の中から絶えず虫の音が聞こえてくる。
心地よい風がほほを撫でていく。
(撮影日:2011年9月17日)
爆撃を逃れた洞窟
ラオス内戦の時、アメリカ軍の爆撃から身を守るために籠もった洞窟があった。
中に入ってみると、高さが20メートルぐらいあり、ひんやりとした空気が漂っていた。
上部に穴が二つ開いていた。
入口の右わきに祭壇があったが、当時もあったのだろうか。
この洞窟のすぐ外にも深くて大きいクレーターが残っており、水たまりになっていた。
(撮影日:2011年9月17日)
石壺の中
石壺の中が空になっているものも多いが、ご覧のように雨水がたまっているものもあった。
あるものには植物が棲みついていた。
(撮影日:2011年9月17日)
自然が創造した芸術
壺の外側の白色系と茶色系の色合いもなかなか味があるが、内側の紫色系、藍色系、緑青系のバランスがもっと素晴らしい。
名画を見ているような気分にさせられる。
長時間見つめていても飽きることがない。
壺の大小よりも、こちらのほうが価値があるような気がする。
(撮影日:2011年9月17日)
蓋がある石壺
私が見た“蓋が付いている石壺”はこれ一つだった。
中がどうなっていたかは、残念ながら記憶していない。
(撮影日:2011年9月17日)
石壺 N.270
多くの石壺の中をのぞいてみたが、番号が書いてあるのはこれだけだった。ほかにもあるのかもしれないが、、、、、
遺跡を調査するときに整理のために書いたものだと思われる。
(撮影日:2011年9月17日)
ジャール平原の高台からの景色
サイト1の見学コースも終わりに近づいてきた。
ここに立つと遥か遠くまで見通すことができる。
画面左に見えている細い土の道を下って、入口に戻る。
湿っていて大変滑りやすかった。
右に見えている白い屋根がサイト1の入口の事務所である。
道の途中で、アリが巣作りに励んでいた。
(撮影日:2011年9月17日)
“ジャール平原” サイト2&3へ
サイト2&3はサイト1からかなり遠い上に、道の凹凸が激しく、トゥクトゥクでは行くことができない。
できれば、四輪駆動車で行くのが望ましい。
私達はかなり年代物のワンボックスカーで行ったので、かなり揺れた。
この看板の所から11kmと書いてある。
(撮影日:2011年9月17日)
サイト2&3へと続く田舎道
サイト2&3までこのような泥道が続いている。
大変長閑(のどか)な気分にさせられる。
(撮影日:2011年9月17日)
サイト2とサイト3の分岐点
右へ進むと200mでサイト2、左へ5.4km行くとサイト3に着く。
(撮影日:2011年9月17日)
サイト3は遠かった
サイト2が目の前に見えているのに、どうしてサイト3へ先に行くのかと疑問だった。
車の前に続く泥道を見て、不安になった。
そして、間もなく不安が的中してしまった。
泥道にはまって車が動かなくなってしまったのだ。
私達も泥だらけになって車を押したのだが、どうにもならず、ちょうど通りかかった人たちも手伝ってくれたのだが、やはりだめだった。
2時間ぐらいたってから農作業用の車(?)が来た。
誰かが連絡してくれたらしい。
しかし、この車(?)のエンジンの排気量が小さく、これだけではどうにもならず、再び泥だらけになって車を押した。
そして、なんとか脱出でき、もと来た道を引き返した。
農作業用の車の人に120,000キープ(約1,200円)位払ったようだった。
(撮影日:2011年9月17日)
サイト2入口
サイト2に着いたら、「どうしてそんな恰好をしているのか」と不思議がられた。
まず、入口のそばにあるトイレで身体の汚れを落とした。
一匹の犬が気持ちよさそうに昼寝をしていた。
(撮影日:2011年9月17日)
Site Ⅱ入場券、10,000キープ
Unexplored Ordnance Clearance Programme(不発弾処理)
サイト2の入口の脇に「不発弾処理」に関する大きな看板が並んでいる。
(撮影日:2011年9月17日)
サイト2の石壺
ガイドブックによると、ここには全部で93個の石壺があるそうだ。
入口からかなりのこう配の赤土の道を登っていく。
この丘の上には細長い石壺が多く見られる。
そして、ここも丘の上からの景色が素晴らしい。
頬にあたる風が気持ちいい。
(撮影日:2011年9月17日)
帰りに下り坂の様子を車内から撮影
ムアンクーンの麺
サイト1&2の石壺見学を満喫してから、東の方角にあるムアンクーンの街へ向かった。
ここにはワット・ピアワットやタート・フーンがある。
ムアンクーンの街でまず腹ごしらえをした。
ビエンチャンの麺とはちょっと違うがこれも美味しかった。
値段は15,000キープ(約150円)。
店の前にもかつてアメリカ軍が投下した爆弾が多数あった。
(撮影日:2011年9月17日)
ムアンクーンの街(村)?
ムアンクーンは街というより、村といったほうがいいような鄙びた所だった。
(撮影日:2011年9月17日)