素晴らしき旅・毎日が新発見 !!!

これまでマレーシア、インド、ラオス、カンボジア、中国に仕事で20年近く滞在しました。その間にタイ、ベトナム、インドネシア、モルディブ、シンガポールなども訪問しました。それらの国々で体験したり感動したりした素晴らしいことや珍しいことを皆様にご紹介させていただきます。

ラオス・シェンクワーン(ジャール平原)の旅⑤

 

ポーンサワンの蝉

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道路脇の木の枝の中で蝉が鳴いていた。

 

やっとのことで見つけ、写真を撮った。

木の枝がたくさんあり、オートフォーカスでは蝉になかなかピントが合わなかった 。 

うまく撮れたのはこれ一枚だけだった。

 

蝉の大きさはミンミンゼミぐらいだ。

鳴き声は残念ながら覚えていない。

(撮影日:2013年6月7日)

海威KTV “High Way Karaoke

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夕焼け雲の下、カラオケの看板がひときわ目立った。

この店はポーンサワンの街の中心から外れた場所にある。

“人がいる所、どこでもカラオケあり”ということか。

(撮影日:2013年6月7日)

ポーンサワンの夕焼け雲 

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午後7時過ぎ、2時間以上も歩いて、少々疲れた。

しかし、夕焼け空の下、木々のシルエットが見事だったので、疲れが取れた。

(撮影日:2013年6月7日)

ポーンサワン・バスステーション

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ポーンサワンには三つのバス・ステーションがある。

 

一つは私達が着いた長距離バス用のシェンクワーン・バスステーションである。

 

次がこのポーンサワン・バスステーションで市場の近くにある。

温泉があるムアンカムなどの近郊の町や村へ行くバスが出ている。

 

三つ目のナムグム市場バスステーションからは南にあるムアンクーンなどへ行くバスが出ている。

(撮影日:2013年6月8日)

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ポーンサワン・バスターミナルの前の道

典型的な機械部品の店 

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ポーンサワンのメインストリートの両側に数多く並んでいる機械部品の店は、大体このようになっている。

下の2枚の写真は別棟の倉庫の様子である。 

(撮影日:2013年6月8日)

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“SOLEX”と“SOTFX”

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錠前のメーカーで“SOLEX”というのは、以前見かけたことがあるから多分これは本物だろうと思う。

 

しかし、隣の“SOTFX”というのは“SOLEX”に似すぎている。

おっちょこちょいの人なら、間違えてしまうだろう。

 

そこを狙った偽物のような気がするのだが、“SOTFX”という会社または銘柄はあるのだろうか。

どちらも多分“MADE IN CHINA”だろうから、両方とも模造品だったりして…

(撮影日:2013年6月8日)

“BASTOS”MENTHOL(たばこ)

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機械部品の店に貼ってあったラオスの煙草の広告。

 

3種類とも20本入りで3,000キープ(約40円)となっている。

煙草を吸わないので、これが高いのか安いのか判断できない。

因みに、ビエンチャンで毎週末食べに行くベトナムの麺は20,000キープ(約267円)である。

(撮影日:2013年6月8日)

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中国製のカレンダー

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同じく機械部品の店にあった2種類のカレンダー。

 

店のオーナーが中国人なので、カレンダーも中国製だ。

一つには“雲南華航航空票務中心”と書いてある。

航空票務中心というのは航空券販売店という意味だ。

(撮影日:2013年6月8日)

ポーンサワンの交差点

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土曜日の朝、午前10時50分過ぎのポーンサワンの交差点。

 

休みの日とあって、行き交う車も少ない。

この写真の右に“COECCO XIENGKHOUANG HOTEL”がある。

(撮影日:2013年6月8日)

ポーンサワンの街を散歩

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連れが友人達と麻雀を始めたので、私はちょっと散歩することにした。

土曜日の午後2時過ぎだったが、街の住人にも旅行者にもほとんど出会わなかった。

出会ったのは店番をしている人たちだった。

多分、観光シーズンではないのだろう。

(撮影日:2013年6月8日)

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前回(2011年9月)来た時に1泊した“WHITE ORCHID GUESTHOUSE”

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床屋

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ビエンチャンでもよく見かける理髪用の椅子がひとつだけの床屋。

 

建物というか小屋自体が、いかにもうらぶれた雰囲気で、やっぱり田舎の街なんだなあという感じを受けた。

(撮影日:2013年6月8日)

Nisha Restaurant, Indian Food

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前に“田舎街のインド料理店”で紹介した店だ。 

前回は夕方だったので、ゆっくり写真が撮れなかったが、今回は昼間だったので、じっくりと様子を見ることができた。

 

ルアンプラバーン、バンヴィエンにも系列店があると看板に書いてある。 

営業時間は午前6時から午後9時半までとなっているが、このような街で結構長いものだと思った。 

午後2時を回っていたので、お客はいなかった。

(撮影日:2013年6月8日)

続・AWANG RESTAURANT

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前回(2011年9月16日)はシェンクワーンに着いた日にこの店で夕食を食べた。

まだシェンクワーンの街の大きさも把握できなかったし、この店がシェンクワーンのどこに位置するのかも全く分からなかった。

 

あれから1年9か月ぶりだが、妙に懐かしい感じがした。

(撮影日:2013年6月8日)

シェンクワーンの人々は趣味がいい

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一軒だけでなくいろいろな店先に鳥籠が掛けてあるのが目についた。

きっと鳴き声を楽しむのだろう。

大変優雅な趣味だと思う。

羨ましい限りだ。

 

暫く待ったが、残念ながら美声は聞けなかった。

(撮影日:2013年6月8日)

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干し松茸

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熱帯の国ラオスに松茸があると知った時にはちょっと驚いた。

前回ここに来たときは知らなかったのだが、ここシェンクワーンが松茸の産地だったのだ。

 

それを知ってから、シェンクワーンの知人に送ってもらい、何回も“松茸ごはん”を食べている。

日本では考えられない贅沢な話だ。

 

この日も散歩途中で、松茸を干しているのに出合った。

隣に干してあるのは緑豆だと思う。

(撮影日:2013年6月8日)

ラオス美人

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ラオスでよく見かけるカレンダーは“Beerlao”を作っているLAO BREWERY、BCEL銀行、電話会社の“ETL”などの物だ。

 

必ずと言っていいほど、ラオス美人(?)の写真だ 。

以前、BCEL銀行のカレンダーに男子行員の写真が出ていたが、違和感があった。

 

これはラオスで一番人気があるビール “Beerlao” のカレンダーだ 。

6月だというのに、3月と4月のカレンダーのままだった 。

多分、この店の御主人が彼女が好きなのだろう。

 (撮影日:2013年6月8日)

Welcome to Xieng Khouang Province

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道端にシェンクワーンの大きい観光案内図が出ていた。

しかし、これを見ているのは私だけで、他に誰もいなかった。

これから雨季に向かい、観光客はますます減り続けるだろう。

(撮影日:2013年6月8日)

店先に吊るされていた食べ物

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左は油で揚げたもので、多分お菓子の一種だろう。

右はバナナの葉でくるまれているが、中には米と魚を蒸したものが入っていると思われる。

以前パークサンの近所で買ったことがある。

(撮影日:2013年6月8日)

奇妙な人形(飾り物)

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ラオス人はどうも“ぬいぐるみ”が好きなようで、何か催し物があると、必ず“ぬいぐるみ”の店が出ている。

“ぬいぐるみ”の他にも奇妙な人形(飾り物)がよく売られている。

 (撮影日:2013年6月8日)

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西の空の輝き

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午後4時44分、西の空が輝いていた。

綺麗な夕焼けが期待できそうだった。

(撮影日:2013年6月8日)

ラオス・シェンクワーン(ジャール平原)の旅④

 

シェンクワーン空港・搭乗待合室

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三日前に到着したときは慌ただしく出てしまったが、帰りは時間があったので、ゆっくり写真をとることができた。

(撮影日:2011年9月19日)

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ビエンチャンシンガポールの航空路線開設のお知らせ

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2011年11月1日にビエンチャンシンガポール間の航空路線が開設されるというラオス航空のお知らせが貼ってあった。

機体はエアバスA320で、運航日は火、木、日の週3便、料金は12月31日まではオープン割引で往復2,900,000キープ(約29,000円)だそうだ。

(撮影日:2011年9月19日)

シェンクワーン空港の空

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三日前にここに着いた時も空と雲が綺麗だったが、旅の終わりのこの日もそれ以上の大空が上空に広がっていた。

(撮影日:2011年9月19日)

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空から見たナムグム湖

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ビエンチャン市の北方約60kmの所にあるナムグム湖は約40年前に人工的に造られた。

ここで発電される電気はタイなどへ輸出されており、ラオスの重要な外貨収入となっている。 

(撮影日:2011年9月19日)

空から見たメコン

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上空から見るとメコン河が大きく蛇行しているのがよく分かる。

9月は雨季の終わりの時期にあたるが、広範囲にわたって水が溢れているのがはっきり見える。

 (撮影日:2011年9月19日)

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ワッタイ国際空港

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シェンクワーン空港から約30分の飛行でビエンチャンのワッタイ国際空港に着いた。

ここの上空にも南国の青空と雲が広がっていた。    (完)

 (撮影日:2011年9月19日)

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シェンクワーン再訪

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前回、2011年9月にシェンクワーンへ行ったときに泊まった宿の家族とその後も交友が続いている。

宿のオーナーと客という関係ではなく、もっと親しい関係になっている。

 

8月に日本へ帰る前に、なんとか時間を作ってもう一度訪ねようと思っていた。

ある日、「木曜日の夜行バスで行って、向こうに2泊して日曜日に帰ってこよう」ということになり、ビエンチャンの北バスターミナルの下見を兼ねて、切符を買いに行った。

 

“北バスターミナル”はビエンチャンの街の中心から車で20分ほどの所にある。

ここからラオスの北方にある街々へ行くバスが出ている。

夜行バスの代金は一人150,000キープ(約2,000円)だった。 

(撮影日:2013年6月5日)

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シェンクワーン行き夜行バス

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バスの発車時刻は20:30だったが、昨日、切符を買ったときに「19:00に来るように」と言われたので、その通りにした。

早かったので、待合室はガラガラに空いていた。

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自分達が乗るバスの内部を外から覗いて、「ゆったりしたベッドだな」と思った。

幅は80センチ、長さは170センチぐらいだった。

ところが、乗ってから判明したのだが、このベッドは二人用だった。

 

バスに乗る時にビニールの袋をもらい、履物を脱いでこの袋に入れた。

昨日、切符を買ったときは1番、2番の切符だったので、空いていると思った。

しかし、発車するときには40ぐらいある席(?)はほぼ満席だった。

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夜行バスなので、運転手が居眠り運転をするのではないかと少し心配だった。

しかし、これは杞憂に終わった。

夜中の12時頃まで大音量で車内に歌が流れていた。

 

そして、運転席の隣にバス会社の従業員が3人も座り夜中も大声で話していた。

安全ではあったが、この歌のせいで、遅くまで眠ることができなかった。

(撮影日:2013年6月5日)

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北バスターミナルからは中国、タイ、ベトナムへ行く国際バスも出ている。

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夜中の1時過ぎに食事休憩

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車中でウトウトしていたら、バスが止まった。

時計を見たら夜中の1時過ぎだった。

トイレに行くための停車かなと思ったら、乗客や運転手が食事を始めたのにはびっくりした。

 

お腹は空いていなかったので、ジュースを買おうとしたら、乗車券を見せるように言われた。

乗車券についている小さい券と引き換えにジュースをくれた。

食事をしている人たちは多分この券と引き換えたのだろうと思う。

(撮影日:2013年6月7日)

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右側の食事券を切り取った後の乗車券

早朝の一時停車

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夜行バスのベッドの長さは私の身長と大体同じで170センチぐらいだった。

頭と足の裏が、隣の席との仕切りに届く感じだった。

進行方向を向いていたので、運転席の方に足を向けて寝た。

だから、上り坂の時は頭の方に全体重がかかり、下り坂の時は下がらないように足を突っ張らなければならなかった。

こんな状況だったので、いささか寝不足になった。

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明け方、山道の途中で停車した。

乗客が降りて、ぞろぞろ藪の中に入っていくので、一体何があるのだろうとついて行った。

途中で、高齢の御婦人が何か言ったが、ラオス語だったので分からなかった。

暫く登った先には何もなかった。

 

皆さんは用をたすために藪の中に散っていったのだった。

あのご婦人は多分、「ついて来るな」と言ったのだろうとその時理解した。

大変申し訳ないことをした。

ごめんなさい !!!

(撮影日:2013年6月7日)

間もなくポーンサワン

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バスは次第に高度を下げて、シェンクワーンの中心の街、ポーンサワンに近づいて行った。 

(撮影日:2013年6月7日)

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シェンクワーン・バスステーション

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午前7時半にシェンクワーン・バスステーションに到着した。

前の晩の午後8時半にビエンチャンを出て11時間かかったことになる。

 

このステーションはポーンサワンの街の中心からかなり西へ行った所にある。

ここからはビエンチャン、ルアンプラバーンなどの国内の街のほか、ベトナムのビンへの国際バスも出ている。

(撮影日:2013年6月7日)

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ポーンサワンの街の中心へ向かう道

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シェンクワーン・バスステーションからポーンサワンの街の中心へ向かう道の両側には、このようなのんびりした光景が広がっている。

(撮影日:2013年6月7日)

 “祥瑞酒店”

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シェンクワーン・バスステーションからトゥクトゥクに10分ほど乗り、前回宿泊した“高原旅社”に着いた。

建物は変わっていなかったが“祥瑞酒店”と名を変え改装工事中だった。

2階にある前回と同じ部屋に案内された。 

(撮影日:2013年6月7日)

“ジャール平原”の絵

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道路を挟んで“祥瑞酒店”の向かいにある店の外に額に入れられた絵が飾ってあった。

モチーフは  “ジャール平原”

さすがシェンクワーン !!!

(撮影日:2013年6月7日)

市場の向こうの雲

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夕方、散歩がてらポーンサワンの街の中心まで往復歩いた。   

往復約5.5キロ、5時前から7時過ぎまで約2時間のいい運動になった。

(撮影日:2013年6月7日)

House for Rent

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広い庭がついている家の門に“借家”の表示が出ていた。

 

「もし、時間とお金に余裕があってもここには住めないだろうな」と思った。

何よりの敵は  “単調さ”  だ。

 

“ジャール平原の石の壺”  以外にこれといった特徴がない街なので、一週間もいたらきっと退屈してしまうに違いない。

(撮影日:2013年6月7日)

ポーンサワンの繁華街までの光景

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この道をまっすぐ行くと、やがてポーンサワンの街に中心に行きつく

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片道約40~50分、こんな光景の中をゆっくり散策した。 

(撮影日:2013年6月7日)

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道路に面している家並みの裏にはこういう景色が広がっている

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ポーンサワンの犬

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今回の3日間の旅では犬にあまり出会わなかったような気がする。

この犬は売り物のオイルとバッテリーの前で寝そべっていた。

 (撮影日:2013年6月7日)

ポーンサワンの空

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ラオスの大きい銀行であるBCELのビル上空に爽快な空が広がっていた。 

(撮影日:2013年6月7日) 

“三ツ星”ホテル

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この  “COECCO XIENGKHOUANG HOTEL”  はポーンサワンの市場の近くにある。

 

ホテル名の右隣の★★★はどういう意味なのか考えた。

多分、ホテルのランクが“三ツ星”なのだろうと勝手に想像した。

ランクを堂々と掲示しているホテルなど、今まで見たことがない。 

(撮影日:2013年6月7日&8日)

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タケノコ? いいえ、、、、、

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ポーンサワンの市場の近くの路上で売っていた。

どうやら食材ではあるようだが、何だか分からなかった。 

(撮影日:2013年6月7日)

ポーンサワンの市場で売られていたもの !!!

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ポーンサワンの市場の一角、この中に市場が広がっている

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これまでラオスをドライブして、いろいろな所で食用の動物が売られているのを見た。

へび、とかげ、名前が分からないもの等々、数多くあった。

 

ポーンサワンの市場で見たこれはどうも狩猟禁止らしく、写真を撮ろうとしたら、新聞で隠されてしまった。

連れが買い物をして、売り手の気をそらしている間に、さっと写した。

 

後で宿に帰って聞いたら、とても美味しいものだと言っていた。

一匹2,000元(約32,000円)ぐらいする高価なものだそうだ。

それにしても恨めしそうな顔をしている。

さぞ無念だっただろうと想像できる。 

(撮影日:2013年6月7日)

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ポーンサワンの街の中心部

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山が見えている方向が東にあたる。

道路の両側にはトラックや農業用の機械の部品を扱っている店が多い。 

(撮影日:2013年6月7日&8日)

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ポーンサワンの夕暮れ

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沈んでいく夕陽の眩しさが強烈に印象に残っている。

太陽が最果ての地に消えていくような感じを受けた。

(撮影日:2013年6月7日)

 

ラオス・シェンクワーン(ジャール平原)の旅③

 

タート・フーン その1

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タート・フーンへ行く坂道

以前、ムアンクーンはシェンクワーン地方の中心だったので、“Old Capital”とも呼ばれている。

街を見下ろす高台にこのタート・フーンがある。

これは16世紀に建てられたもので、高さは38メートルほどである。 

(撮影日:2011年9月17日) 

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タート・フーン その2

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タート・フーンをいろいろな角度から撮ってみた。

内部から頂上の方に向かって木が伸びているのには驚いた。

積まれているレンガも400年以上前のものかと思うと感慨深いものがある。 

(撮影日:2011年9月17日)

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タート・チョムペット 

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タート・フーンを過ぎてさらに奥へ行くとこのタート・チョムペットがある。    

残念ながら、原因は分からないが頂上部分が崩れてしまっている。

牛たちがのんびりと寛いでいた。

(撮影日:2011年9月17日)

 

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タート・チョンペットから眺めたムアンク―ンの街の様子

ワット・ピアワット 

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タート・チョムペットの次にワット・ピアワットへ行った。

この寺は今から40年以上前の1968年にアメリカ軍の爆撃により崩壊した。

爆撃による傷跡が現在も生々しく残る仏像が、炎天下静かに座していた。

(撮影日:2011年9月17日)

 

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LAO-AUSTRALIAN BRIDGE CONSTRACTION PROJECT

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ラオスの場合、橋を架けるとしたら、メコン河かその支流ということになるのだが、このプロジェクトはどこに橋を架けるというのだろうか。

 

シェンクワーンのあたりにメコン河のような大河は流れていないが、小さい川はいくつか流れているようなので、そのどれかに橋をかけるということなのだろう。

 

それとも、ラオスとオーストラリアの友好&交流のための橋なのだろうか。 

(撮影日:2011年9月17日)

名前がわからないタート・チョムペット

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ムアンクーンの街に朽ちかけたタート・チョムペットがあった。

積み重ねられた苔むした石に過ぎ去った月日を感じさせられた。

(撮影日:2011年9月17日)

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熱帯の国の仏教の寺

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“侘びと寂(さび)”が感じられる日本の寺とは大分趣が異なるが、熱帯のタイやラオスで眺めていると、「南国の明るい風土にはこのほうが合っているな」という気分になる。

 (撮影日:2011年9月17日) 

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新しい棟を新築していた。屋根の装飾がいかにもラオス風である。

いざ、温泉へ

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午前6時のポンサワンの街、天気、小雨

 

ポンサワンに来て三日目、早朝から小雨が降っていた。

 

宿の御主人が「みんなで温泉に行こう」と言い出し、彼の友人達を誘って7人で行くことにした。温泉がある“ナムホーン・リゾート”はポンサワンの北東約50㎞にあるムアンカムの街にある。

 

ポンサワンの宿から温泉まで2時間ぐらいかかった。

(撮影日:2011年9月18日)

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ナムホーン・リゾート到着

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温泉がある個室、中にバスタブが二つ並んでいる。

あまり清潔とは言えない。

料金は一人20分で5,000キープ(約50円)。

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湯あがりに眺めた青空

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浴室のそばに気持ちよさそうなベッドがあったので、暫くの間、横になった。

ベッドのわきにはずっと白い犬が寛いでいた。

小雨もやみ、青空が顔を出していた。

(撮影日:2011年9月18日)

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ナムホーン・リゾート 

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“ナムホーン・リゾート”は一応、“リゾート”と呼び名がついているので、宿泊棟も揃っているが、日本の感覚でいうと“リゾート”とは言い難い。

私たちが行った日は日曜日だったが、他に客はいないようだった。

しかし、新しい風呂を造っているところをみると、そこそこ繁盛しているようだ。

 (撮影日:2011年9月18日)

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レストラン

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焼いた豚の皮膚、なかなか美味しい

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温泉が湧き出している池

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温泉に入った帰りに、温泉が湧き出している所へ行った。

“ナムホーン・リゾート”から車ですぐの所だった。

深い森の中に踏み入っていくような感じだった。

 

大きい池の底から湧き出ているそうで、池の外に流れ出している湯の温度は触ってみてちょうどよかった。

(撮影日:2011年9月18日)

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ラオスの観光地ではよく見かけるおみくじである

ポンサワンの果物

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“ナムホーン・リゾート”から帰った晩、宿の近くを散歩した。

帰りに露店によってブドウを買った。

1キロで25,000キープ(約250円)だった。

勿論、美味しかった。

(撮影日:2011年9月18日)

ポンサワン、晴れ

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ポンサワンからビエンチャンへ戻る日の朝、前日の朝とは打って変わり、青空が広がっていた。

 (撮影日:2011年9月19日)

ハスの花

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午前6時頃起きて、宿の近くを散歩した。

宿の目と鼻の先にある池には、赤いハスの花が開いていた。

 (撮影日:2011年9月19日)

ラオス式荷物の積み方

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ビエンチャンに来た時、木工の店が多いのに驚いた。

ビエンチャンのITECで開かれるラオス全土の物産展に行くと素晴らしいテーブルセットや木彫りなどに出合う。

 

聞くところによるとラオスは山が多く、森林が多いので、良質の木材がたくさん採れるそうだ。南部の物はベトナムやタイ、北部の物は中国などへ輸出されている。

 

このトラックに積まれているのは上等な製品ではなかったが、積み方がいかにもラオス的だったので、写真を撮った。

(撮影日:2011年9月19日)

奥地へ行く車の仕様 

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宿の裏のほうからにぎやかな声が聞こえてきたので行ってみたら、大きなタイヤをトラックの屋根の上に運び上げようとしているところだった。

 

人力で大丈夫なのだろうかと心配していたのだが、皆で協力してなんとか一番上まで上げてしまった。

 

ところで、この大型トラックであるが、これからシェンクワーンの奥地へ行くそうだ。

普通の四輪駆動車ではなく、このようなトラックでなければ行けないというのは、どのような所なのだろう。

 

ラオスの奥地の山々の険しさを想像してみた。

(撮影日:2011年9月19日)

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Tourist Information 

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旅の情報を得ようと宿のすぐ近くの“Tourist Information”へ行ったのだが、建物の外、敷地内のいたるところに展示されている爆弾に圧倒された。

 

1960年代半ばに始まったラオス内戦の時、パテート・ラオ軍を攻撃するためにアメリカ軍が多数の爆弾を投下した。その時のクラスター爆弾の殻などが数多く並べられている。

 

しかし、その戦争も40年も昔のこととなり、“Tourist Information”の建物の中では、係りの女性二人が暇そうに新聞を読んでいた。

(撮影日:2011年9月19日)

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ポーンサワンの市場

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宿泊した宿“高原旅社”と“Tourist Information”の間に市場があった。

 朝食に魚を料理しようということになり買いに行った。

 

 ビエンチャンのタラート・トンカンカム同様、果物、野菜、肉、生活用品等々雑多なものが売られていた。

 

 前日の夕方、ここを歩いて驚いたのは、肉売り場の肉を並べる台の上を野良犬が悠々と歩きまわっていたことだ。 夕方だから、肉は売り切れてもうないのだが、「きちんと拭き掃除もせずに、翌日はこの台に肉を並べて売るのだろうか」と心配になった、

 (撮影日:2011年9月19日)

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中国の麻雀牌

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“高原旅社”の宿泊客は中国人が多かったが、彼らはよく麻雀をしていた。

自動で麻雀牌を積んでくれるやつだ。

 

中国の牌は体積が日本の約2倍の大きさである。

これでは腕が疲れるのではないかと心配してしまうが、大連の中国人も同じ大きさの牌を使って、飽きずにやっていた。

 (撮影日:2011年9月19日)

“高原旅社”は雑貨店 

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“高原旅社”の道路に面した一階は雑貨店の様相を呈している。

 

何が入っているのかわからない大きい袋、箱入りの飲料水のペットボトル、煙草、中古のカメラ、電気製品の部品各種、薬や化粧品の類、意味深な香水(中国製)、翡翠でできているように見える布袋様、バストを大きくするエッセンス(ロシア製)等々、長い間見ていても飽きなかった。 

(撮影日:2011年9月19日)

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“LOVE ME”  愛美香水(中国製)

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REAST ESSENCE(ロシア製)

ラオス・シェンクワーン(ジャール平原)の旅②

 

Together let’s protect the Plain of Jars

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“ジャール平原 サイト1”の入り口にあった注意喚起の看板である。

漫画がカラフルで面白い。

 (撮影日:2011年9月17日)

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ジャール平原・サイト1 

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生憎、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。

ジャール平原・サイト1の印象は何と言ったらいいか。

学術的なことはさておき、とにかく爽やかな伸び伸びとした気分にさせられた。

あたり一面、遮るものがなく遥か遠くに連なる山々、刻々と微妙に表情を変える白雲。。。。。

(撮影日:2011年9月17日)

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最大の石壺

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サイト1の入口の看板に「ここには334個の石壺があり、最大の物は 直径2.5m、高さ2.57m」と書いてあった。

 

どれが一番大きいのか分からなかったが、この写真の左側の壺もかなり大きかった。

高さが2mぐらいあった。

 (撮影日:2011年9月17日)

クレーター

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1960年代半ばからのラオス内戦の時、パテート・ラオ軍を叩くためにアメリカ軍が多数の爆弾を投下した。

 

立て札によると1964年から1973年までの期間がそうだったらしい。

その爆撃の跡がクレーターとしてジャール平原に数多く残っている。

人間の背丈と比べると、クレーターの大きさがよく分かる。

そして、爆弾の物凄い威力が想像できる。

 

クレーターの底面がほとんど草に覆われてしまっており、年月がたったことを感じさせる。しかし、ここで起こったことを風化させてはならない。

(撮影日:2011年9月17日)

ジャール平原の中の遊歩道(?)

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草原の中の踏み固められた狭い場所が時間がたつにつれて小道のようになった。

 

泥がむき出しになっているので、非常に滑りやすい。

そこを歩いてジャール平原を巡る。

前方に石壺群が見えている。

 

足元の草の中から絶えず虫の音が聞こえてくる。

心地よい風がほほを撫でていく。

(撮影日:2011年9月17日)

爆撃を逃れた洞窟

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ラオス内戦の時、アメリカ軍の爆撃から身を守るために籠もった洞窟があった。

 

中に入ってみると、高さが20メートルぐらいあり、ひんやりとした空気が漂っていた。

上部に穴が二つ開いていた。

入口の右わきに祭壇があったが、当時もあったのだろうか。

 

この洞窟のすぐ外にも深くて大きいクレーターが残っており、水たまりになっていた。

(撮影日:2011年9月17日)

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石壺の中

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石壺の中が空になっているものも多いが、ご覧のように雨水がたまっているものもあった。

あるものには植物が棲みついていた。 

(撮影日:2011年9月17日)

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自然が創造した芸術 

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壺の外側の白色系と茶色系の色合いもなかなか味があるが、内側の紫色系、藍色系、緑青系のバランスがもっと素晴らしい。

名画を見ているような気分にさせられる。

長時間見つめていても飽きることがない。

壺の大小よりも、こちらのほうが価値があるような気がする。

(撮影日:2011年9月17日)

蓋がある石壺

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私が見た“蓋が付いている石壺”はこれ一つだった。

中がどうなっていたかは、残念ながら記憶していない。

(撮影日:2011年9月17日)

石壺 N.270

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多くの石壺の中をのぞいてみたが、番号が書いてあるのはこれだけだった。ほかにもあるのかもしれないが、、、、、

遺跡を調査するときに整理のために書いたものだと思われる。

 (撮影日:2011年9月17日)

ジャール平原の高台からの景色

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サイト1の見学コースも終わりに近づいてきた。

ここに立つと遥か遠くまで見通すことができる。

 

画面左に見えている細い土の道を下って、入口に戻る。

湿っていて大変滑りやすかった。

 

右に見えている白い屋根がサイト1の入口の事務所である。

道の途中で、アリが巣作りに励んでいた。 

(撮影日:2011年9月17日)

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“ジャール平原” サイト2&3へ 

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サイト2&3はサイト1からかなり遠い上に、道の凹凸が激しく、トゥクトゥクでは行くことができない。

できれば、四輪駆動車で行くのが望ましい。 

私達はかなり年代物のワンボックスカーで行ったので、かなり揺れた。

 

この看板の所から11kmと書いてある。

(撮影日:2011年9月17日)

サイト2&3へと続く田舎道

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サイト2&3までこのような泥道が続いている。

大変長閑(のどか)な気分にさせられる。

(撮影日:2011年9月17日)

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サイト2とサイト3の分岐点

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右へ進むと200mでサイト2、左へ5.4km行くとサイト3に着く。

(撮影日:2011年9月17日)

サイト3は遠かった 

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サイト2が目の前に見えているのに、どうしてサイト3へ先に行くのかと疑問だった。

車の前に続く泥道を見て、不安になった。

 

そして、間もなく不安が的中してしまった。

泥道にはまって車が動かなくなってしまったのだ。

私達も泥だらけになって車を押したのだが、どうにもならず、ちょうど通りかかった人たちも手伝ってくれたのだが、やはりだめだった。

 

2時間ぐらいたってから農作業用の車(?)が来た。

誰かが連絡してくれたらしい。

しかし、この車(?)のエンジンの排気量が小さく、これだけではどうにもならず、再び泥だらけになって車を押した。

 

そして、なんとか脱出でき、もと来た道を引き返した。

農作業用の車の人に120,000キープ(約1,200円)位払ったようだった。

(撮影日:2011年9月17日)

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サイト2入口

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サイト2に着いたら、「どうしてそんな恰好をしているのか」と不思議がられた。

まず、入口のそばにあるトイレで身体の汚れを落とした。

一匹の犬が気持ちよさそうに昼寝をしていた。

(撮影日:2011年9月17日)

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Site Ⅱ入場券、10,000キープ

Unexplored Ordnance Clearance Programme(不発弾処理)

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サイト2の入口の脇に「不発弾処理」に関する大きな看板が並んでいる。

(撮影日:2011年9月17日)

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サイト2の石壺

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ガイドブックによると、ここには全部で93個の石壺があるそうだ。

 

入口からかなりのこう配の赤土の道を登っていく。

この丘の上には細長い石壺が多く見られる。

 

そして、ここも丘の上からの景色が素晴らしい。

頬にあたる風が気持ちいい。

(撮影日:2011年9月17日)

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 帰りに下り坂の様子を車内から撮影

ムアンクーンの麺 

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サイト1&2の石壺見学を満喫してから、東の方角にあるムアンクーンの街へ向かった。

ここにはワット・ピアワットやタート・フーンがある。

 

ムアンクーンの街でまず腹ごしらえをした。

ビエンチャンの麺とはちょっと違うがこれも美味しかった。

値段は15,000キープ(約150円)。

店の前にもかつてアメリカ軍が投下した爆弾が多数あった。

 (撮影日:2011年9月17日)

ムアンクーンの街(村)?

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ムアンクーンは街というより、村といったほうがいいような鄙びた所だった。

(撮影日:2011年9月17日)

 

ラオス・シェンクワーン(ジャール平原)の旅①

 

ジャール平原を目指して

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3泊4日でシェンクワーンへ行ってきた。

シェンクワーン県はビエンチャン県とルアンプラバ―ン県に挟まれ、謎の石壺群がある。“ジャール(フランス語で「壺」の意)平原”が観光の目玉である。

 

バスだとビエンチャンから10~12時間かかる。

費用は95,000~115,000キープ(約1,000円~1,200円)。

私達は時間を節約するために往復飛行機を利用した。

所要時間は30分、料金は往復US$168(約13,000円)だった。

 

ビエンチャンのワッタイ国際空港発13:30、ポンサワンにあるシェンクワーン空港着14:00。74人乗りのQV401便はほぼ満席だった。

 

ワッタイ国際空港にはベトナムからの航空機が到着していた。

(撮影日:2011年9月16日)

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ビエンチャン近郊の航空写真 

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離陸して間もなく、はるか下に広がる景色を撮った。

まだ雨季であったので、広大な水たまり(?)ができていた。

 (撮影日:2011年9月16日)

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QV401便の機内食(?)

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飛行時間がわずか30分なので、水平飛行をしている時間はほとんどない。

機内で配られたのは350ccの水とドライフルーツの袋のみだった。

 (撮影日:2011年9月16日)

ポーンサワン近郊の景色

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シェンクワーン県の県庁所在地はポーンサワンで、シェンクワーン空港はここにある。

着陸態勢に入ってから写真を撮った。

山々に囲まれた緑豊かな土地だということが分かる。

(撮影日:2011年9月16日)

シェンクワーン空港の空

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滑走路の周りはそこいらじゅう丈が高い草が生えていた。

周りに高い建物がないので、ビエンチャンよりも空が広い。

 

ポーンサワンはビエンチャンよりもかなり標高が高い。

そのせいか雲もちょっと違うような気がする。

(撮影日:2011年9月16日)

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私たちが乗ったQV401便

シェンクワーン空港ビル(?) 

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田舎の街の空港とあって平屋だった。

壁にジャール平原の絵が描かれていた。

街へ行く手段を探すのに気を取られていて、建物正面とビル内の写真を撮るのを忘れた。

(撮影日:2011年9月16日)

WHITE ORCHID GUEST HOUSE

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「空港からポーンサワンの街の中心までトゥクトゥクで約10分、30,000キープ(約305円)」とガイドブックに書かれていたが、空港の前の広場にはそれほどトゥクトゥクはいなかった。勿論、タクシーはゼロだった。

 

空港の建物の中で、ゲストハウスの運転手たちが「うちに泊まれば、車代はただ」と言うので、一つ選んだ。

空港から15分ほどで着いたのがこの“WHITE ORCHID GUEST HOUSE”だった。

 

場所は街の中心を通るサイサナ通りの近くで便利な位置にある。

部屋の種類はいくつかあったが、一泊朝食付きで100,000キープ(約1,020円)のにした。

建物の外観はまあまあだが、部屋の中はそれほどきれいではなかった。

 

あまり客が入っていないようだったが、「今、みんな出かけているところだ」と宿の人が言っていた。しかし、夜になっても人の声はほとんど聞こえなかった。

写真は翌朝撮ったものである。

 (撮影日:2011年9月17日)

旅行社のツアーにご用心 !!!

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右の建物に旅行社が入っている 

 

翌日からの二日間の観光について宿の隣にある旅行社へ相談に行った。

たくさんの観光ルートがある観光地で、ハイシーズンの場合は、旅行社は非常に便利で格安なので大変ありがたい。

 

しかし、観光ルートが少なく、観光シーズンでない場合は、旅行社の悪い点が露出してしまう。この旅行社がまさにそうだった。

 

まず客の希望を聞くのではなく、彼らが用意している観光ルートを押しつけてきて、高額な料金を示された。

こちらが行きたいと思っている場所以外にたくさんの場所が入っていた。

その上、料金は一人当たり一日US$170(約13,600円)とバカ高かった。

ビエンチャン~シェンクワーン往復の航空券より高い。

ツアー参加者は私達二人だけとのことだが、高すぎる。

他の旅行社をあたってみることにした。

 

実は、空港から宿まで私達を運んでくれたのは、この旅行社の車だった。

空港から宿まで無料で客を運んで、ツアーで利益を上げるという算段だったらしいが、

今回は失敗に終わったようだ。

(撮影日:2011年9月17日)

AWANG RESTAURANT 

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空港には午後2時過ぎに着いたのだが、明日からの観光の手配のために他の旅行社やツーリストインフォーメーションを回っていたら、5時を過ぎてしまった。

 

そこで、夕食をとることにして、宿からほど近い中華料理の店に入った。

店のご主人は中国人だった。 

豆腐とトマトが入った料理とゴーヤと卵のスープ、それにご飯を食べた。

 

もう一品茄子の料理を注文したのだが、なかなか出てこなかった。

二品でお腹がいっぱいになってしまった。

茄子の料理が来ないので、どうしたのかと聞いたら、二人では食べきれないと思って作らなかったとのこと。

ここは素直に店の親切(?)に感謝した。

 

だから言うわけではないが、料理の味はよかった。

代金は全部で45,000キープ(約460円)だった。

(撮影日:2011年9月16日)

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ポーンサワンの露店市

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食事をしてから少し散歩をした。

宿の近くで露店市が開かれていた。

売られているのは主に野菜だった。

ビエンチャンでは見たことがない大きい筍(タケノコ)に驚いた。

 

相手が素朴な田舎の人たちなので、近くでカメラを向けるのを躊躇してしまい、ビエンチャンでのようには撮れなかった。

撮影時刻は午後5時50分過ぎ。

(撮影日:2011年9月16日)

Craters Restaurant 

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シェンクワーンでもう一つ忘れてはならないのは、1960年代半ばからのラオス内戦の激戦地だったということだ。

 

パテート・ラオ軍を叩くためにアメリカ軍が多数の爆弾を投下した。

その爆撃の跡がクレーターとしてジャール平原に数多く残っている。

いまだに除去しきれていない不発弾のために毎年、犠牲者が出ているという現実がある。

(撮影日:2011年9月16日)  

ポーンサワンの街並み

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まだ雨季で、観光シーズンでなかったせいか、観光客は少なかった。

シャッターが下りている店舗がかなりあり、そのせいか寂れているような印象だった。

一番下の写真を撮ったのは午後6時4分ごろ。

(撮影日:2011年9月16日)

華やかな紅い花

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ポーンサワンは寂れているような街だったが、紅くて華やかな花に出合った。

花弁のもとから先まで10cmぐらいある大きい花だった。

この花はビエンチャンではまだ見たことがなかった。

(撮影日:2011年9月16日)

田舎街のインド料理店

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思わぬところで、インド料理店に出くわした。

 

以前、中国の昆明でインド料理店を見つけた時も驚いたのだが、ポーンサワンは東南アジアの小さい国の田舎街なので、「こんなところにもあるのか !!!」ともっとびっくりした。

 

夕暮れだったので、暗い写真になってしまったのが残念だ。

(撮影日:2011年9月16日)

 “おかゆ” 

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食堂の看板に“ひらがな”で“おかゆ”と書いてあった。

日本人も客として期待されるぐらいはこの街に来ているという証拠だろう。

「か」と「ゆ」がちょっと歪んでいるところが微笑ましい。 

 

インド料理店があることにも驚いたのだが、この“おかゆ”のメニューにはもっと驚いた。  

(撮影日:2011年9月16日)

ポーンサワンの朝

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ポーンサワンの街の中心、サイサナ通りである。

朝7時過ぎなのに人通りも交通量も非常に少ない。

多分、観光シーズンではないからだろう。

(撮影日:2011年9月17日)

WHITE ORCHID GUEST HOUSE の朝食

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大変シンプルだが、パンは美味しかった。

コンデンスミルクは、ビエンチャンでは見たことがないブランドだった。

(撮影日:2011年9月17日)

“高原旅社”

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ポーンサワンに着いた日の夕方、観光ツアーを実施している旅行会社を探し回った。その時に偶然見つけたのがこの宿である。

 

場所はツーリスト・インフォーメーションのすぐ近くである。

約2時間前、空港から“WHITE ORCHID GUEST HOUSE”へ向かう時にこの前の道を通った。経営者は中国人夫婦で、もう長年ここに住んでいるとのこと。

 

ジャール平原へ行きたいと話をしたら、500,000キープ(約5,100円)で案内してくれるというので、お願いした。そして、2泊目、3泊目はここに泊まることにした。

 (撮影日:2011年9月19日)

“高原旅社”の部屋

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これが私たちが2泊した2階の部屋である。

設備はともかくとして、広さは十分だった。

1泊80,000キープ(約800円)のところを60,000キープ(約600円)にしてくれた。

(撮影日:2011年9月19日)

いざ“ジャール平原”へ 

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“ジャール”とはフランス語で「壺」を意味する。

石壺がある地域はシェンクワーン県内に60か所以上あり、その総数は1,000個以上になることが判明している。

 

石壺の中からは人骨、ガラスの小玉、石壺の外周からは、土器片、青銅の腕輪、鉄製のナイフなどが発見された。

 

現在のところ「石壺が石棺として使われた」という説が有力であるが、これだけの壺を作る資材と労力をどうやって調達したのかなど、“ジャール平原”にまつわるミステリーは尽きない。

 

“ジャール平原”は多くのサイトに分かれているが、主なものはサイト1,2,3で、私達はまずサイト1を目指した。

(撮影日:2011年9月19日)

“ジャール平原” サイト1の入り口

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ポーンサワンの街の中心から30分ほどでサイト1に到着した。

私達はバンで行ったが、道に凸凹はあるものの、サイト1まではトゥクトゥクでも行けるとトゥクトゥクの運転手が言っていた。

 

観光シーズンではないせいか、入口は閑古鳥が鳴いていた。

入場料金は10,000キープ(約100円)。

(撮影日:2011年9月17日)

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マレーシアの旅(7泊8日)②

 

大馬彩 da ma cai(マレーシアの宝くじ)

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マレーシアでも色々なところで宝くじを売っているが、ここキャメロンハイランドも宿と広場を挟んだ向かい側にその売店があった。 

 

競馬の馬券も「一攫千金」を夢見るものだが、この宝くじのキャラクターも馬なので、

人がイメージするものは同じなんだなと思った。

(撮影日:2010年11月17日)

Marrybrown Family Restaurant

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Tanah Rata で帰りのバスを待つ間に、入ったファストフードの店。

 

クアラルンプールでは見かけたことがない。

ハンバーガーとポテトチップスを食べたが、あまり美味しくなかった。

(撮影日:2010年11月17日)

Cameron Highland からの帰りのバス

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Cameron Highland へ来る時と同じ会社のバスに乗った。

これは途中の休憩場所で撮った写真。

山を下りて高速道路に入ってから暫くの間、激しいスコールの中を走った。

(撮影日:2010年11月17日)

my hotel@sentral & my hotel@brickfields

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KLに戻ってからKL Sentral駅前のホテルに3泊した。 

my hotel@sentralに2泊してから my hotel@brickfieldsに移った。

オープンしてちょうど1年という my hotel@brickfieldsは中が綺麗だった。

 

この2軒はチェーン店で、brickfieldsという場所柄、従業員はインド人が多かったが、客に対して親切ではなかった。

 

宿泊料金は1泊108リンギット(約3,000円)と130リンギット(約3,600円)だった。

(撮影日2010年11月18日)                           

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開発が進む KL Sentral 駅前

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KL Sentral 駅前の広い空地は5年前は駐車場だったが、現在は大きいビルの建設が進んでいる。

下の写真は2003年10月5日の駐車場の様子である。

KLがどんどん変わっていっているのがよくわかる。

 (撮影日:2010年11月18日)

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OLD TOWN WHITE COFFEE の朝食

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my hotel@sentral の一階に“OLD TOWN WHITE COFFEE”があった。

店内の雰囲気は落ち着いていてよかった。

写真の品、全部、二人分で17.95リンギット(約503円)だった。

 (撮影日:2010年11月18日)

街の新聞売り

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KLではこのように路上に新聞を並べて売っているのをよく見かける。 

(撮影日:2010年11月18日)

変わってしまったインド人街(Brickfields)

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KLの2度目の滞在のときは、 Taman Sepute にあるコンドミニアムに約3年住んでいた。

そこからBrickfields までは歩いて15分ほどだったので、休みの日にはよく朝食を食べに出かけた。

 

今回5年ぶりに行って、その変りように驚いた。

以前よりも街並みは新しくなり綺麗なのだが、どこでも見かけるテーマパークのようだった。

 

前によくポークミーを食べた店が入っていたビルは閉鎖されていた。(写真上)

 

訪れたのが木曜日の午前7時過ぎだったせいもあるのだろうが、なんとなく寂れているような感じだった。

だから、綺麗に飾り立てて昔を呼び戻そうとしているという印象を受けた。  

(撮影日:2010年11月18日)

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左の建物の中にポークミーの店があった(2002年6月29日撮影)

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(2002年6月29日撮影)

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左の高い建物が当時住んでいたコンドミニアム2003629日撮影)

KL Tower 下のジャングル 

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KL Sentral からモノレールで Bukit Nanas(パイナップルの丘) まで行った。

駅は7つで料金は2.10リンギット(約59円)だった。

 

KL Tower は丘(bukit)の上にあるのだが、Bukit Nanas の駅からKL Tower がある場所までジャングルの中を歩くような上り坂の道が付いていた。

時間は20分ぐらいかかった。

結構きつい登りだったので、帰りはシャトルバス(無料)で下りた。

 

KL Tower の入場料金は38リンギット(約1,060円)と安くはないが、展望台で各国語での説明が聞ける器具の代金も含まれている。 

(撮影日:2010年11月18日)  

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KLCC(Kuala Lumpur City Centre)

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KLCC(Kuala Lumpur City Centre)にあるテナントは、ヨーロッパの高級品店が多く、私とはあまり縁がないので、 KLに住んでいた時も時々しか行かなかった。

 

しかし、KLCCの建物とテナントのデザインは、日本のデパートよりもスマートだと思う。

私たちが行ったときはクリスマスを一ヶ月後に控え、どの店も綺麗に飾りつけられていた。 

(撮影日:2010年11月19日)

little penang kafé

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KLCC(Kuala Lumpur City Centre) にある “little penang kafé” で昼食を食べた。

 

写真の手前は “ラクサ” で向こうは“海老が入った麺”である。

ラクサ” とは米粉で作った麺で、スープには魚肉などが入っていて少し酸っぱさがある。

 

緑色の飲み物はサトウキビジュースで、暑いときに飲むと何とも言えない美味しさである。

 

代金は全部で37.50リンギット(約1,050円)だった。 

(撮影日:2010年11月18日)

KLのタイ料理

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夕食はKLに住んでいる知人と一緒にタイ料理を食べた。

タイ料理は大好きなので、以前KLに住んでいた時にもよく食べに行った。

当時も美味しい店がいくつかあったが、今はもっと増えているとのことだ。

 

この日は“Mega Mall”とその隣に出来た新しいビルをつなぐ地下街にある“Rak Thai”という店に行った。

 

写真の料理を4人で食べたが、どれもいい味で満腹になった。

費用は128.60リンギット(約3,600円)だった。

 (撮影日:2010年11月18日)

モノレールは景観を損なう !!!

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これはJalan Bukit Bintang とJalan Sultan Ismail の交差点にあるモノレールの“Bukit Bintang 駅”であるが、これがあるために街の景観が損なわれているのがよくわかる。

 

KL市民は便利さと引き換えにもっと大事なものを失ったような気がする。

(撮影日:2010年11月19日)

Imperial Chakri Parace(タイ料理レストラン)

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前日、KLCCへ行った時、美味しそうなタイ料理店を見つけた。

 

しかし、その晩、知人と一緒にタイ料理を食べることになっていたので、昼食はラクサを食べた。

 

知人と一緒に行った“Rak Thai”のタイ料理がとても美味しかったので、ラオスに戻る前にもう一度タイ料理を食べておこうということになり、前日見つけた店“Imperial Chakri Parace”に行った。

 

注文の行き違いで“生ガキ”が出てきてしまった。

美味しそうだったので食べたかったのだが、食あたりが心配なので火を通してもらった。三分の一ぐらいの大きさになってしまったのは残念だったが、味はよかった。

生で食べたらもっと美味しかっただろうと思う。

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写真の料理の他にピンク・グァバとキャロット(人参)のフレッシュジュースを注文した。 

 

代金は全部で124.80リンギット(約3,495円)だった

(撮影日:2010年11月19日)

中国の獅子舞

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朝、宿のすぐ近くで中国の獅子舞に出合った。

来年の春節はまだ2か月半も先という時期だったから、そのための練習というより何か催し物があったのだろう。

(撮影日2010年11月20日

猪肉粉(PORK MEE)

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朝食をとるために宿から歩いて2,3分の所にある食堂に入ったら、KLに住んでいた頃、よく行っていたポークミーの店がそこにあった。2日前にBrickfields へ行き、以前この店が入っていたビルが閉鎖されているのを見て、落胆したばかりだった。

 

夫婦と息子の青年が前と同じようにポークミーを作っていた。三人とも5年半前と変わっていなかった。私が注文したのは卵入りの大盛で5.50リンギット(約154円)、ポークミーの味も前と同じだった。

 

ここには自分の心の中にあるKLがまだ残っていた。

(撮影日2010年11月20日

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SKY BUS

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Air Asia が発着するLCC-Terminal とKL Sentral 間は、SKY BUS で1時間15分で結ばれている。LCC-Terminal 発は午前7時から午前3時15分まで、KL Sentral 発は午前3時から午後10時までである。

 

それぞれ30分間隔で運行しているので非常に便利だ。

 

私がインターネットで予約した時は往復US$4.28(約364円)だったが、バスの車体に書いてあるように、現地で片道9リンギット(約252円)払えば、誰でも乗れるようだ。

予約する方が少し安くなる。

(撮影日:2010年11月20日

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Kuala Lumpur 国際空港の LCC-Terminal

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クアラ・ルンプールの国際空港は Kuala Lumpur International Airport 略し“KLIA”という。

 

インターネットで予約する際に Kuala Lumpur LCC-Terminal という表示を見た時、「いったいこれは何処なんだ」という不安がよぎった。

 

そして、現地に着いて不安が的中したことが判明した。“KLIA”とは全く別の空港だったのである。“KLIA”は確かに隣なのだが、LCC-Terminal とは連結していない。

 

だから“KLIA”と KL Sentral を28分で結ぶ高速鉄道には乗れない。

インターネットで予約するときに、選択肢の中にどうして「これ」がないのか不思議でしょうがなかったのだが、薄暗がりの中、KLに到着したときに納得させられた。

 

 LCC-Terminal とはLow Cost Carrier Terminal の略だったのである。すなわち Air Asia などの格安航空便が発着する専用空港というわけだ。

 

ラオスへ帰るときに免税店で何か買おうと思っていたのだが、お酒、煙草、腕時計、化粧品、菓子の店が少しあるだけで、海外の有名高級ブランドの店はほとんどなかった。

広さはよく知っている“KLIA”の免税品店街とは全く比較にならない。

 

しかし、これはよく考えてみればすぐわかることで、格安航空券を利用する人は有名高級ブランド品とはあまり縁がないだろう。この辺の事情をLCC-Terminal を設計した人はよく理解している。

 

 Kuala Lumpur の国際空港で免税品を買いたい方はくれぐれもご注意を!!! 

(撮影日:2010年11月20日

Air Asia の機内食

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インターネットで予約するときに機内食も予約した。

 Pancake & Coffee と Pizza & Coffee はそれぞれUS$2.96(約250円)で、味はまあまあだった。

予約していなくても機内で注文できることが分かった。

 (撮影日:2010年11月20日

マレーシアの旅(7泊8日)①

マレーシア、再訪

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KLタワーからの眺め、前に来た時よりも高層ビルが増えたような気がする。

正面に見えているのは、一時「世界一」を誇った“ペトロナス・ツインタワー”である。

 

一週間の休みが取れることになったので、久しぶりにKLへ行くことにした。

2006年1月以来、4年10か月ぶりとなる。

 

ビエンチャンからKLへはAir Asia が飛んでいるので、早速、インターネットで予約をした。運賃と空港税で往復US$139.50(約¥11,600)と確かに安かったが、座席は狭い上にほとんどリクライニングせず、約2時間40分という短いフライトなのに、非常に疲れた。

 

旅行期間は11月13日(土)~20日(土)で、7泊8日の旅だった。

(撮影日:2010年11月18日)

Hotel Chinatown 2

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ビエンチャンを午後3時40分に発って、KLのLCC‐Terminal に着いたのが午後7時25分(マレーシアの方が1時間早い)だった。

そこからバスでKL Sentral まで1時間15分かかった。

さらにKL Sentral からLRT で隣の駅、“Pasar Seni” へ行き、そこから5分ほど歩いて、チャイナタウンの “Hotel Chinatown 2” に着いた。

時刻は午後10時近かった。

 

遅くなることが分かっていたので、インターネットで予約しておいた。

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一泊(食事なし)¥2,684、飛び込みで行くより、いくらか安いようだが、部屋はインターネットで見た写真と大分異なり、綺麗ではなかった。

インターネットは便利だが、こういうはずれの場合もある。

 

ちょうど窓の下がチャイナタウンのメインストリート “Jalan Petaling” だったので、夜中まで賑わいの音が聞こえていた。

以前、6年余りKLに住んでいたときは、赴任直後の時期を除いて、KLのホテルに宿泊したことはなかったが、このように旅でチャイナタウンに泊まるのもなかなか旅情があると思った。

(撮影日:2010年11月14日&15日)

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KEDAI MAKANAN “China Town Food Paradise”

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宿泊した Hotel Chinatown 2 の近所にあったフードコート。

 

中華街にあるだけあって、「唐人街美食坊」と漢字表記まであった。 

朝食を食べようと思って入ったのだが、脂っこいものが多かったのでやめた。 

私が住んでいた2005年にはこの店はなかったような気がする。 

(撮影日:2010年11月14日)

Bukit Jalil バスステーション

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KL滞在中に“Cameron Highland”へ行こうと思い、バスの予約をするためにPudurayaバス・ステーションに行ったら、改装工事中だった。

 

聞いてみると、今は Bukit Jalil で営業しているとのこと。

Chinatown 近くのKota Raya デパートの前からバスに乗り、20分ほどの所にあった。

バスの料金は2リンギット(約54円)だった。

 

広大な敷地にバスやタクシーが何台も並んでいた。 

(撮影日:2010年11月14日)

Cameron Highland 行きバス

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午前9時KL発のバスでCameron Highland へ行った。

座席は横3列でゆったりしており、十分にリクライニングし、フットレストもついていた。

Air Asia の飛行機の座席とは比較にならないほどいい。 

これで35リンギット(約¥940)は決して高くないと思う。

 

途中で一度休憩をして、Tanah Rata までの所要時間は約4時間半だった。 

(撮影日:2010年11月15日)

Tanah Rata の街並み

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KLからのバスはたいていTanah Rata に着く。

Tanah Rata は Cameron Highland の入り口にあたる街だが、うるさくて落ち着かないので、奥にある Brinchang へ行くことにした。

写真の左の建物の中に Brinchang 方面へ行くバスの乗り場がある。

(撮影日:2010年11月17日)

Brinchang の街へ

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ホテルの3階の部屋から見た Brinchang の中心部の景観 

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Tanah Rata から地元の路線バスに乗り Brinchang へ向かった。

所要時間は約15分、料金は1.30リンギット(約¥35)だった。

帰りにBrinchang から Tanah Rata までタクシーに乗ったら6リンギット(約¥160)だった。

Brinchang はTanah Rata に比べて静かで落ち着いている。  

 (撮影日:2010年11月16日)

SILVERSTAR HOTEL (銀星酒店)

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3階の窓がでっぱている部屋に泊まった

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Brinchang の街へ着いた時には小雨が降り出していた。

 

傘をさして何軒かのホテルを回り、部屋の内容と値段が妥当だと思われ“SILVERSTAR HOTEL”にした。

中国人の女性オーナーと2,3回交渉しているうちに95リンギット(約¥2,565)が85リンギットになり、結局75リンギット(約¥2,025)になった。

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3階の窓側の部屋で、3人泊まれるようになっていた。

KLのホテルより、値段の割に広くて綺麗だった。

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この週から学校が休みになり、観光客が多いと聞いていたが、Brinchang では、ガラガラに空いているのホテルが多かった。

高級ホテルはどうかわからないが、、、、、

 (撮影日:2010年11月16日&17日)

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CAMERON TOM YAM DAN MAKANAN(レストラン)

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Cameron Highland での最初の晩は屋台でマレー料理を食べた。

 

久しぶりに“Milo Ice”を飲んだ。

昔、日本で“ミロ”は子供のための飲み物かと思っていた。

それが1993年に初めてマレーシアへ行ったときに、広く大人たちにも飲まれていることを知ってとても驚いた。

それも甘いコンデンスミルクをたっぷり入れて飲むので更にびっくりした。

 

「甘すぎるのでは」と最初思ったのだが、気に入ってしまい、6年余りのKL滞在中に愛飲するようになってしまった。

写真右上にあるのがその“Milo Ice”である。

写真の料理と飲み物全部で17.20リンギット(約460円)だった。

 (撮影日:2010年11月15日)

“Butterfly”に魅せられて(バラ園)

Cameron Highland にまるまる一日滞在するのは一日だけなので、見どころを効率よく回るためにツアーに参加することにした。

約4時間半で7か所回り、25リンギット(約¥670)だった。

9時にホテル前に迎えに来てくれた。

 

最初に“ROSE CENTRE”を訪れた。

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入園料は5リンギット(約¥135円)で、狭い敷地の中にバラ以外にも暑いKL では見られない色とりどりの花々が咲き誇っていた。

私が好きな“インパチェンス”も見事な花を咲かせていた。

英国の庭園を思い出させるような雰囲気があった。

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この屋根の下に花園が広がっており、段々畑のように上に続いている

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“Lady shoes”

 

中でも藤の花のように垂れ下がる水色の花はこれまで見たことがなく、長い間見とれてしまった。

名前は“Butterfly(蝶) ”というのだそうだ。

(撮影日:2010年11月16日)

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Strawberri Farm

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次に訪れたのは “Raaju’s Hill Strawberi Farm” だった。ここは温室栽培のイチゴを外から眺めただけだった。色づいているものも少なく、あまり見る価値はなかった。

 

ツアーの目的はここでイチゴやイチゴで作ったケーキなどを売ることだったらしい。ツアーガイドのインド人の男性がカウンターの中に入ってせっせと売っていた。小さいイチゴがワンパック5リンギット(約¥135)だった。

 

イチゴが珍しいマレーシア人はこれで喜ぶのかもしれないが、あまり美味しくなかった。

(撮影日:2010年11月16日)

ドアに錠前がついた車

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Strawberi Farm の駐車場で年代物の車に出合った。

“WAD4719”のWはKLの車であることを表している。

 

私が1993年にKLで車を登録した時は“WDD9250”だった。

したがって、“WAD”というのはそれ以前の登録ということになる。

恐らく今から20年以上前の車だと思われる。

 

車体の傷み具合からも長い年月が感じられたが、後ろのドアに取り付けられた錠前がそれを何より証明していた。

 

私も古い物を大切にして長く使用するほうだが、この車の持ち主には敬意を表したくなった。

(撮影日:2010年11月16日)

“Buah Cinta”(愛の果実)

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Buah Susu

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Buah Cinta

 

Strawberi Farm の次に蜂蜜をとっている農場へ行ったが、あまり見るべきものはなかった。

 

しかし、その前の道に並んでいる果物屋に珍しい果物があった。

店の人によると Cameron Highland  にしかない果物だそうだ。

“Buah Susu”と“Buah Cinta”という名前だ。

 

Buah は果物、Susu は牛乳、Cinta は愛という意味だ。

“Buah Cinta”とは意味深長な命名だが、どんな味がするのだろうか。

(撮影日:2010年11月16日)

 Cameron Highland の茶畑

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Cameron Highland は1885年、イギリスの国土調査官 William Cameron によって見出された。

 

半島マレーシアの中央部、海抜1,800mの地点にあり、気温が8~24℃と平野部に比べて涼しいため、紅茶、野菜、果物、花などの栽培に適している。

 

山々の斜面全体に広大な茶畑が広がっている。いかにも英国人が好みそうな高原リゾートである。 

(撮影日:2010年11月16日)

“BOH”TEA

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Cameron Highland で一番有名なのが“BOH”TEA である。

 

その“BOH TEA CENTRE”へ行った。ここでは紅茶の製造過程を英語のガイド付きで見学できる。

 

そして、その後広くて見晴らしがいい場所で紅茶を飲ませ(勿論有料)、お土産コーナーで紅茶を買わせるという仕組みになっている。

 (撮影日:2010年11月16日)

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画面中央に見えているのは茶農園の労働者の住宅である

茶摘みをする道具

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茶畑の多くは斜面にある。

この道具を二人で持って茶摘みをするのだが、斜面での作業を考えると、いかに重労働であるかが分かる。

(撮影日:2010年11月16日)

ここは “Butterfly Park” ですか?

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羽の端から端まで13~14センチぐらいある大型の蝶

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“Butterfly Park”とは蝶がいる公園であるが、マレーシア語だと“Taman Rama Rama”となる。

taman は公園、rama は蝶を表し、複数形は rama rama になる。

 

さて、この “Butterfly Park” であるが、実に珍妙な公園であった。

蝶よりも蛇や爬虫類や巨大な昆虫などがいる場所の方が広く、蝶は狭い場所に閉じ込められていた。

 

正直言って、ちょっと気味が悪かった。入園料は5リンギット(約135円)だった。

 (撮影日:2010年11月16日)

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緑色の細い蛇が身体を高く持ち上げている

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胴の太さが10センチ以上もある蛇

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絶えず観光客に視線を飛ばしている小型の爬虫類

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角の先端から尻まで20センチ以上もあるカブトムシ

 

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三宝萬佛寺

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このツアーの最後の訪問先は“三宝萬佛寺”という中国の寺だった。

本堂の中は大きい金ぴかの像が所狭しと並んでいた。

 

「侘び寂」が感じられる日本の寺とは大違いでちょっと違和感があるが、イスラムの寺院よりは安らぎを感じる。 

(撮影日:2010年11月16日)

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スチームボート(鍋料理)

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この日の夕食はスチームボートを食べた。

これはマレーシアの中華系の店でよく見かける。

日本で言えば、“しゃぶしゃぶ”のようなものだ。

 

ガスではなく、炭火を選んだ。

具は野菜、海鮮、豆腐類、茸類、春雨などで味はよかった。

費用は二人分、43リンギット(約1,200円)だった。

 (撮影日:2010年11月16日)

朝食

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泊まっていた宿の並びにあるレストランで朝食をとった。

値段は写真に写っているもの全部、二人分で11リンギット(約310円)だった。

但し、紙パックに入っているジュースは除く。

(撮影日:2010年11月17日)