素晴らしき旅・毎日が新発見 !!!

これまでマレーシア、インド、ラオス、カンボジア、中国に仕事で20年近く滞在しました。その間にタイ、ベトナム、インドネシア、モルディブ、シンガポールなども訪問しました。それらの国々で体験したり感動したりした素晴らしいことや珍しいことを皆様にご紹介させていただきます。

タイ便り(絵葉書から)

 

①1996.3.27(水)晴れ バンコクにて(バンコクの街について)


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 背丈の3倍もある長い影を連れて、勤め帰りの人々が足早にレストランの窓の外を通りすぎていきます。ここは Bangkok のビジネスの中心街 Silom Road(シーロム通り)。東京なら丸ノ内か大手町といったところです。

 食事をしながら眺めていると、いつまでたっても飽きません。観光客であふれかえっている有名な場所よりもここの方が Bangkokの表情がよく見えるようです。エアコンもよく効いていて、料理もおいしいのですから、もう言うことはありません。
 
 「それにしても、この YOSHINOYA の牛丼は旨い!」キムチ、みそ汁、ジュースがついて、65バーツ(260円)。
日本よりいい味です。そして、安い! 

 Bangkok にて 

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 ※ 写真は2001年5月19日のバンコクの朝の様子。シーロム通りの北側を平行して通っているスリウォン通りの ホテルの窓からシーロム通り方面を望んで写した。見えている通りはシーロム通りではない。

②1996.3.28(木)晴れ アユタヤにて(アユタヤへの車窓から見えたもの)


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 「ハスの花」が咲き誇っています。

花びらの先がうす桃色でもとの方が白い大きな花です。こんなにたくさん、きれいに自生しているのを見るのは初めてです。

 Bangkok から Ayutthaya(アユタヤ)へ向かう線路のすぐ脇に貧しい人々の家々が延々と続きます。屋根と壁だけの小屋といった方がいいような建物です。家財道具もあまりないようです。それらの家々と線路の間に、少し臭くて汚い水溜りが、これまたずっと続きます。そして、突然、ここに「ハスの花」が現れました。

 仏教ではこの花は「天国」の象徴だったような気がします。美しさに感動したのも束の間のことで、「人の世って皮肉だな。」という思いに捕らわれてしまいました。

 Bangkok ~ Ayutthaya 1時間42分の列車の旅、色々なことを考えさせられました。


 Ayutthaya にて

 

③1996.3.30(土)晴れ バンコクにて(アユタヤについて)


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 再び Bangkok から。列車の切符を買う都合で戻りました。チャイナタウンのホテルにいます。

 このワット・プー・カオ・トーンも昨日自転車で回りました。アユタヤの北西の外れにあるので、ここへ行ったために、くたくたになりました。

 自分のほかに観光客は一人もいず、一番上の回廊に座って、アユタヤの街並みをゆっくりと眺めることができました。日本の水田と全く同じ風景が、果てしなく広がっていました。

 先程、パッポン通り(新宿の歌舞伎町のような所)に行ってきました。露店がたくさん並び、売り手と買い手の真剣勝負が今晩も繰り広げられていました。そして、水着姿のお姉さん方が踊っているバーの客引きのお兄さんたちも一生懸命に仕事をしていました。
                                  Bangkok にて

 

④1996.3.31(日)晴れ ピサヌロークにて(ワット・ロカヤスタについて)


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 「タイで最も美しい仏像」を安置したワット・プラシー・マハタート寺院へ行くために、ここPhitsanulok(ピサヌローク)へ来ました。

 定刻より一時間遅れで11:55に Bangkok を発車したディーゼル普通列車(3輌編成、全車2等指定席、エアコン)は18:38 にここに着きました。途中で、お弁当と水、ジュース、そしてケーキとジュースと3回もサービスがありました。6時間43分はあっという間でした。でも約380km の列車の旅はやはり長かった。座り疲れでお尻と背中が痛いです。

 この絵葉書のワット・ロカヤスタも29日(金)に行きました。「全長30m近いこの涅槃物は、草の中で蓮の花を枕にして、静かに横になっている。」と書かれてあったので、炎天下で心の対話をしようと思って訪ねました。

 しかし「千円は何バーツだ?」「Bangkokの銀行は手数料を取らないが Ayutthaya では20バーツ(約80円)の手数料を取られる。だからおまえが両替してくれ。」「長男が高校生だからお金がかかってしょうがない。だからこのハンモックを買ってくれ。」と言う土産物屋のオヤジさんと生臭い話をする羽目になってしまいました。
                                      Phitsanulok にて

 

⑤1996.4.1(月)晴れ(最高気温40℃以上)スコータイにて(Wat Phra Si Rattana Mahathatの仏像)


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 これが「タイで最も美しい」と言われている Wat Phra Si Rattana Mahathat の仏像です。「青銅製でひざ幅2.75m, 高さ3.5m, スコータイ後期に造られ…」といった解説を抜きにしても、確かに心を引きつけられました。

 今日の名所巡りは、ここ一ヶ所だけです。旅も6日目となり、少しずつ疲れがたまっているようなので、無理ができません。年ですね。今朝は目が覚めたのが9時なのに、11時まで起きられませんでした。

 午後、バスで Phitsanulok から Sukhothai に移動しました。約60km, 1時間かかりました。料金はたったの16バーツ(約64円)。列車もそうですが、この国の公共の乗り物の料金が安いのには驚かされます。こんなことを言ったら、「日本から来た旅行者の勝手な言い分だ」と地元の人に叱られるかもしれません。しかし、それにしても差がありすぎます。多分、日本が高すぎるから、こんな感想を持ってしまうのでしょう。

 今晩の宿は“RIVER VIEW HOTEL”。でも窓の外は板壁で、川どころか何も見えない1階の部屋です。トイレ、温水シャワー、エアコン、扇風機、テレビ付きで 350バーツ(約1,400円)。いい夢が見られるでしょうか。                                               Sukhothai にて

 

⑥1996.4.2 (火)晴れ(最高気温40℃以上) スコータイにて(スコータイで会った少年)


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 「こんにちは」突然、少年の声がしました。日本語でした。「こんにちは」と返事をすると、彼は恥ずかしそうにちょっと笑いました。

 途中で、獲ったばかりの川魚が一杯入った直径50cm位の籠を三つも持ったおばさんが乗り込んできました。車内は20人位いますが、もう満員で外に立って手すりにつかまっている人もいます。

 小型トラックの荷台を改造した乗合バスです。客席部分は全て木製です。時速40km位でどこでも停まります。

 学校帰りの女子学生たちが次々と降りていきます。少年の番が来ました。こちらから日本語で声をかけました。「さようなら」「こんにちは」

 知っている唯一の日本語で挨拶をしてくれた少年の姿がだんだん小さくなっていきます。

 頬に心地よい風が当たります。スコータイ遺跡を目指し、ほとんど一直線の田舎道をバスはゆっくりと走り続けます。
                                      Sukhothai にて

 

⑦1996.4.3(水)晴れ(最高気温40℃以上) バンコクにて(スコータイ遺跡


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 昨日はスコータイ遺跡公園の中を徒歩で回りました。疲れがたまって自転車に乗る力も無かったし、自分の足でゆっくり見たほうがいいかなと思ったからです。
 
 40℃の猛暑には参りましたが、見たかった所はほとんど回れたので満足です。博物館に展示してあった13世紀の物と言われている「リンガ」は直径30cm、長さ90cmで、太さ、長さ、硬さとも羨ましくなるほどでした。差がありすぎて比較になりませんが…。
 
 今朝、9時発のバスで Bangkok に戻りました。 Sukhothai から Bangkok までの航空券を既に買ってあったのですが、急にバスに乗りたくなりました。6時間半位かかりましたが、いい経験になりました。
 
 タイ北部の水田の風景を見ていて、日本に似ているなと思うのは、椰子の木が無いからなのだと、今日気づきました。Bangkok まで150km という表示あたりから椰子の木が目につき始めました。                
                                    

 Bangkok にて

 

⑧1996.4.27(土)晴れ バンコクにて(戦場にかける橋・クワイ河鉄橋)


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 あまりにも明るい青空がありました。

 今から約53年前、ここで連合軍の捕虜一万六千人、アジア人の強制労働者十万人が死ぬ事件があった所とは思えません。映画「戦場にかける橋」の舞台となった泰緬鉄道のクワイ河鉄橋です。カンチャナブリ戦争博物館にある当時の写真や絵により、悲惨な様子がよく分かります。これらを見る日本人には、辛いものがあります。

 Vサインを出して笑顔で写真を撮っている若い日本人のグループがありました。自分にはとてもできません。彼らの後ろの白壁に大きくこう書かれてありました。“ Forgive But Not Forget ”(許そう、しかし忘れまい)

 鉄橋の周りには、いたる所にブーゲンビリアのピンク色の花があります。戦争をする人間の愚かさを、そして数十年後にそこで笑顔で写真を撮る日本人の思慮分別の無さをこの花はどんな思いで見つめてきたのでしょうか。

 ブーゲンビリアを前景にいれて、鉄橋の写真を一枚だけ写しました。
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⑨1996.4.28(日)晴れ バンコクにて(ワット・アルン&チャオプラヤ川


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 「日は対岸の暁の寺(Wat Arun)のかなたへ沈んでいた。しかし巨大な夕焼けはニ、三の高塔を影絵に縁取るほかは、トンブリの密林の平たい景観の上の広大な空を思ふさま鷲づかみにしていた。密林の緑はこのとき光りを綿のやうに内に含んで、まことのエメラルド色になった。サンパンはゆきかひ、鴉は夥しく、川水は汚れ薔薇いろに滞んでいた。」
三島由紀夫 豊饒の海 『暁の寺』より~

 Bangkok の中心から北の Nonthaburiの街まで、チャオプラヤ川の往復2時間の船旅を楽しみました。船旅といっても、往復で18バーツ(約72円)の乗合ボートです。客はほとんど地元の人々です。

 野菜市場、水上生活者のボート、この Wat Arun などが次々と現れてきます。まるで泥水のような色をした川で泳いでいる少年たちもいます。ミルクコーヒーのような川面を眺めているうちに、Bangkok の人々の心の源流に触れたような気がしてきました。

 観光客がほとんどいない Nonthaburi の街が気に入りました。そして、三島由紀夫が書いたことを実感しました。
                                  

 Bangkok にて